宿舎周辺の風景 |
朝食は家から持ってきた非常食。実は、2011年3月の東日本大震災のあと、万が一に備えて非常食を買っておいたのですが、5年たって、軒並み期限切れ。せっかくだから食べた方がいいだろうと思い、持ってきたのです。5年間、使うことがなかったわけですが、使うことがないに限ります。
8時に布施記者が本格的に起床。布施記者もパソコンを開きます。悲しき宿命。それでも9時になって買い出しへ行くことにしました。街を歩くこともNGと言われていますが、朝からそうそう犯罪もないでしょう。事実、女の人が一人で歩いています。
宿舎の窓から見えたオリンピックパーク。8階にもかかわらず、 ネットがあるのは、鳥対策? それとも強盗対策? |
11時に保高・増渕組の宿舎へ向かう。流しのタクシーも、ぼったくりがあるとの情報だったが、それ以外に方法がないから、とりあえタクシー。運よくすぐに来てくれる。メーターがあるので、ぼったくりはないか。21ブラジルレアル。700円くらい。こんなもんだろう。
2人と合流したあと、歩いてオリンピックパークへ。約10分でパークへ。ここまでくれば、恐喝もないだろう。メーンプレスセンターへ行き、パーク内のバスの確認や無線Wi-Fiの申請などいろんな手続き。Wi-Fiが無事開通し、記者室でメールのチェックなど。
午後1時ころ、明日行われる階級の計量時間を確認したら、何と午後1時15分から! ガーン! こんな早い時間に計量があるなんて想定外。増渕記者も保高カメラマンもこんな時間とは思っていなかった。しっかり確認しなかった自分たちのミスだけど、レスリング界にどっぷり浸かっているがゆえのミスですね(言い訳!)。
オリンピックパーク。ここなら恐喝団はいそうにもない。 |
2時すぎに組み合わせがアップ。「JPN、、、、スーリヤンだ!」との私の声に、保高カメラマン、増渕記者とも絶句! 「なんで~」と悲鳴があがった。隣のブロックには、世界3位のカザフスタンとロシア。すごいブロックだけど、ロンドンの時の米満だって、こんな感じだった。「大丈夫だ!」と言い聞かせる。
翌日の情報記事をアップしたあと、UWWメディア担当のビル・メイさんとフェイスブックの電話で会話。あまりうまくつながらないので、チャット。以前なら国際電話、しかもブラジル~日本~チェコ~ブラジルと電話回線がとんだわけだけで、通話料も高くなったけど、フェイスブックらラインならタダ。
でも、フェイスブックやラインの会社って、何でもうけているのかな? 布施記者に聞いたら、「スタンプの販売」だと教えてくれた。「あんなもの、お金払うの? タダで使っているよ」と聞いたら、「有料のもあるんです」とのこと。そっかー! タダで導入して、そこから売るわけね。
柔道会場からレスリング会場に改造中 |
話を元に戻すと、メイさんは夜はあいているとのことで、食事をする約束。「オリンピックパークの入り口で7時」に待ち合わせ。それまでの間、レスリング会場を視察。間もなく東京オリンピックの組織委員会に出向される藤森安一広報委員長と遭遇。オリンピックの視察で、こちらに来ています。
泊まっているところが、悪名高いファベーラ。組織委員会から送迎の車が出ているとばかり思ったら、「そんなわけないだろ。電車とバス(BRT)を乗り継いで1時間以上かけて来るんだよ」とのこと。大名旅行するのは、舛添だけでああって、末端の人間は宿舎も移動手段も庶民並みなわけですね。小池百合子新知事の方針にぴったり合っていますね^^
でも、ファベーラは気をつけてほしいな。体重100kg以上、プロレス団体からスカウトされたこともある藤森広報委員長を素手で襲う輩はいないと思うが、武器を持った数人が相手では分が悪いだろう。
メイさん紹介のステーキ、おいしかった |
とりあえず合流し、メイさんの紹介でステーキハウスへ。UWWホームページ記者のティムさんとも遭遇。5月に日本に来て、吉田沙保里と伊調馨、その周辺を徹底取材して、動画とともにホームページにアップ。メイさんによると、けっこう評判がいいとか。私もちょっぴりですが、出ています。どうでもいいけど。
食事が終わって、帰ろうとするけど、タクシーがつかまらない! 待っても、待っても、流しタクシーは来ない。ちょっぴり心細くなった。保高カメラマン、増渕記者は途中のスーパーで買い物をするとかで、スーパーの前で別れる。無事帰れよ、なんて思う余裕はなし。自分たちが帰られるかどうか、心配だった。
タクシーがなく、夜道を歩く羽目に。このちょっと先から山道に 入っていく! |
布施記者と意を決し、暗い林に囲まれた夜道を歩いて帰ることを決意。危険でよくないことは十分に承知しているが、ここであと2時間もタクシーを待つことはできない。行ってみると、けっこう一人歩き、家族連れなどがいて、大会関係の駐車場入り口にはボランティア役員もいる。
襲われることはなさそうだと思いながら、20~25分をかけて宿舎に到着。助かった! できれば歩きたくはないけど、ここまでタクシーがないのなら仕方ない。自分の運を信じ、明日からも徒歩通勤になることを覚悟した。
あとで分かったことだが、保高・増渕も、私達よりは近くて明るい道だけど、徒歩で帰ったそうです。スーパーで大量に買い物をして、「手がちぎれそうでした」だって。ご苦労さん。明日からも気をつけてね。
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