2017年11月23日木曜日

レスリングの事故報道について

 「文春砲」で有名な週刊文春。レスリングで行った事故を取り上げています。

http://bunshun.jp/articles/-/5035

 言論の自由を尊重するのが当協会なので、抗議とかはないと思いますが(ホームページの写真を無断で使ったことに抗議すべきだ、との意見はありましたが…。著作権法上の「引用」の範囲内だ、と返されて、終わりでしょう)、事故現場にいた人間として、私見を述べてみます。


 結論として、文春の見出しにあるような「ひた隠す」という事実はありません。


 そもそも、文春の記事にも「レスリング協会は、『JOCを通じスポーツ庁に報告しており、隠蔽の事実はありません』」と掲載しています。執筆者は「ひた隠し」していないことを認めているのです。記事を書く人と見出しをつける人が別ということは知っていますが、ここまで内容と違う見出しをつけるというのは、どうかのかな、という思いを感じます。


 9月13日の事故以来、協会ホームページの責任者である私には、「書くな」といった指示はまったくありませんでした。協会のだれに対しても箝口令(かんこうれい)はしかれていないと思います。

 負傷したのは拓大の谷口選手です。今月11~12日の全日本大学選手権で拓大が団体優勝を遂げた記事には、谷口選手のことを書いてあります。その記事に対しても、削除を求められてはいません。

http://www.japan-wrestling.jp/2017/11/13/117636/

 事故そのものを書かなかったのは、選手の不幸のことであり、何が何でも書くことではないと思ったからです。最近は、すぐに「個人情報」といったことが問題になっています。チームから「寄付をつのる」などで頼まれれば、書くことにためらうことはしませんでしたが、頼まれもしないのに書くわけにはいかない出来事と判断しました。


 不可抗力の事故です。しごき、といったものではありません。家族は公表を望んでいないかもしれませんし。(拓大優勝の記事を読まれたようで、西口部長に「ありがとうございました」と連絡してくれたとのことです)


  同じような事故で半身不随になってしまったプロレスの高山善廣選手に関しても、団体から正式に発表があったのは、負傷の具合が確定したあとで、4ヶ月後のことでした。記事にするのは、負傷の具合がはっきり分かってからでもいいか、といった気持ちでした。


 文春が書いて、後追いした新聞メディアは、さすがに「ひた隠し」とは書いていませんが、一様に「日本レスリング協会は公表していなかった」と、直接的な非難ではないものの、暗に協会を非難しています。しかし、この種の事故が起きた場合のガイドラインというものは、JOCにもスポーツ庁にも存在しないのではないでしょうか。


 したがって、JOCやスポーツ庁には報告したものの、メディアに公表しなければならない、という発想自体が協会にはなかったと思います。「ひた隠し」とは違うと思います。


 ちなみに、10年ほど前にも、愛知の高校の大会と自衛隊とで事故があり、負傷した選手が半身不随になる事故がありましたが、メディアには公表していませんでした。しかし、公表しなかったことはとがめられていません。時代が変わり、レスリングへの注目も変わっているので、対応を変えなければならないのかもしれませんが、それなら、よけいガイドラインが必要だと思います。


 産経新聞は「味の素トレーニングセンター始まって以来の重大事故」と書いていましたが、そのことが問題なら、レスリング協会ではなく、味の素トレーニングセンターが発表すべきことではないでしょうか。


 文春の記事には、「レスリング協会には、事故の内容を公表し、『事故防止の対策は十分だったのか』など検証する責任があるはずです」(スポーツ事故問題に詳しい内田良・名古屋大准教授)との記述があります。このことは否定しませんが、それなら、繰り返しますが、JOCなどがきちんとしたガイドラインをつくるべきだと思います。


 いまネットを見たら、Business Journalで、また訳の分からない記事が載っていました。


http://biz-journal.jp/2017/11/post_21464.html


 その中の一節です↓


 スポーツ紙のプロレス担当記者がこう語る。「栄さんが男子でも指導をしているのは知らなかった。アマレスでもプロレスでも頸椎損傷はあまりない。組み合って投げたのなら反り投げだと思いますが、よほど実力差がない限りケガはしない。栄さんは実力に差のある選手同士でスパーリングさせるのが指導法。おそらく、今回も実力が上の選手と谷口選手をスパーリングさせたのではないでしょうか」


 これは事実に反しており、取材もしていない臆測のコメントです。学生王者に輝いた選手が前の年の学生王者とスパーリングするのを「実力が違いすぎる」というのであれば、スパーリングをできる選手は限られてしまいます。


 雑誌の週刊文春では(ネットの記事と雑誌の記事は、微妙に違うんですね。初めて知りました)、栄本部長が周囲に対し「面倒なことになったから強化本部長を辞めたい」と漏らしている、との伝聞をもって、「責任放棄の姿勢」と書いてありましたが、親しい人に弱音を吐くことなど、だれにでもあると思います。


 栄本部長は、全日本大学選手権が始まる時(同本部長は会場には来ていません)、拓大の西口部長にラインで「色んな事があり過ぎて、大変だと思うが、谷口君の分も大学選手権頑張って👍 副本部長として私にとって大変助かってます。応援してます。負けるな西口茂樹‼️ 全てを背負え‼」とのメッセージを送っています。


 西口部長は「ありがとうございます。暖かいお言葉、涙が出ます。全力で頑張ります」と返信しています。(私信を公表することに抵抗ありますが、必要と思い、私の責任のもと、本人達に断りのないまま公表します)。


 これが、責任を放棄したトップと負傷した選手の所属の代表とのやりとりだと思いますか? 2人とも、選手の将来を棒に振らせてしまったことに胸を痛めているのです。


 もちろん、けがをさせた張本人もです。事故当日、事の重大性に泣いていました。きっと、今も辛さを抱えて闘っていると思います。


 今は谷口選手の回復をお祈りするだけです。もし、治療費や生活費の寄付を集めることがあれば、ホームページとして最大限の努力は惜しみません。仕事上のけがで、一時、「半身不随の可能性」と診断されたアジア・レスリング連盟の塚本副会長は、いま、普通に歩けるまでに回復しています。


 谷口選手の回復を心からお祈りします。

2017年8月19日土曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(5)完


(4)から続く

モンゴル入国直後は草木のない風景が続いた
モンゴルへ入って(ほぼ寝ている状態でしたが…)、しばらくすると窓から強烈な太陽。もう朝か、と思って時計を見ると、午前5時前。こんな時間から、太陽がさんさんと輝いている。ブラインドとカーテンを閉めて、もうひと寝入り。

 7時すぎになると、妻と子供が起き、私も起きます。車窓からは、草木のない平原が広がります。モンゴルに入った直後は砂漠に近い大地です。顔を洗い、通路から外の景色を見ていると、コックらしき人が「モンゴリアン・レストラン、オープン」と言いながらやってきます。混み合う前に行こうと思い、3人で向かいます。

 ところが、昨日あった車両に食堂車がありません! え、と思い、ずっと進むと、最後尾らしきところ(実際は1つ前。最後尾は荷物車)にやっとありました。二連での車輪付け替えの時、食堂車が切り離され、新しい食堂車と荷物車が最後尾につけられたのでしょう。

食堂車は中国とモンゴルで変わります。
左の写真がモンゴル風の車内です。メニューはなく、ブレックファーストしかありません。3人分を注文。パンとおかず、チーズ、コーヒーという洋式風な朝食。味は、まずくはありませんでしたが…。

 会計となって、びっくり。1人100元(約1800円)! 昨日の夕食は3人で79元(約1422円)ですよ! メニューで見た朝食の値段は10元ですからね。ぼったくりだ! でも、食べてしまったから仕方ない。もう中国のお札は60元くらいしかない。絶対に足りると思っていた。中国の食堂車の朝食メニューは10元ですよ。

 「クレジットカード?」と聞いたら、「ノー」との答え。困った! そこで「USドル?」と聞いたら、OK。45ドルとのこと。辛うじて、それだけのUSドルは持っていたので、部屋まで取りに行きました。

モンゴルは非電化。ディーゼル機関車2台が牽引
していました
もし、USドルを持っていなかったら・・・・。日本円ならもっと持っていたけど、日本円で通じたかどうか。こういうところに来る場合は、USドルの現金を100ドルくらい、細かな札で持っていた方が安心ですね。ま、朝食だから安いだろう、なんて思いこまず、金額を聞いてから注文するべきなのは言うまでもありませんが。

 モンゴルではカーブが多くなり(中国でもカーブはたくさんあっただろうが・・・)、先頭の機関車が見えます。北京を出る時は電気機関車でしたが、今はディーゼル機関車の重連。進めば進むほど、草木が増えてきます。人生と逆ですね(意味、分かるかな? 私の頭は。年をとるほどに地肌が見えてきているのです)。

線路そばには有刺鉄線が続いていました
ところどころにゲルが見えます。モンゴルでは、まだ遊牧で生計をたてている人が多いようです。線路に沿って有刺鉄線が絶え間なく張られています。そんな必要あるの? そんなに子供が多いの? と思いましたが、あとで分かったことですが、野生の動物の線路進入を防ぐためなんだそうです。たぬきが線路に寝ていたら、困りますからね。

 途中の駅で貨物列車とすれ違い。長い! どのくらいあるのか。16両編成の東海道新幹線より長いことは間違いないと思います。日本では車や船という交通手段があって、有効でしょうが、このあたりは鉄道が貴重な輸送手段。大量の貨物を一気に運ぶ必要があるのでしょう。

ウランバートル前最後の停車駅
午後3時すぎ。ウランバートル前の最後の停車駅に到着。時刻表を見ると、1時間遅れているみたいです。車掌に「降りていいか?」と聞くと、「ファイブ・ミニッツ(5分)」との答え。降りてみると、食べ物を売る人が来て、商売しています。

 ここでカップラーメンとか売っていたので、食堂車で食べなかった人は、ここで朝食を買うのもいいですね。カップラーメンで100元はしないでしょう。お湯は、車内ですごく熱いお湯が出る給湯器があります。

 車窓は次第に近代的な風景に変わり、1時間遅れてウランバートルの到着。28時間の旅が終わりました。ホームの先頭へ行ってディーゼル機関車をねぎらい、旅を終えました。ご愛読、ありがとうございました。

都心でも見られたゲル。土地を買っても、家を建てる
お金が貯まるまでゲルで暮らす人もいるのです(伝統
住居が好きで、あえてゲルのままの場合もあり)

モンゴルに入ってからお世話になったディーゼル機関車
終点の到着した列車。モスクワまで行く便も
あります
ホームから見たウランバートル駅

モンゴルではゲルのあるキャンプ場にも泊まりました

ウランバートルからは飛行機で成田へ。横綱白鵬と
同じフライトでした


2017年8月13日日曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(4)

(3)から続く

ガラス越しで見えずらいですが、6両分の車両が
待機しています
車輪が車両の下に来たのでしょう。車両が下がり始めました。窓の下には作業員の姿が見えます。新しい車輪を付けているのでしょう。それが終わっても、終わりではありません。全車両、同じ作業をするので、それだけの時間がかかります。

 いくら何でも、16両を同時にできるほどの作業員はいないでしょう。1番最初に作業した1号車は、終わったあと、長く待たないとなりません。逆に最後尾は、作業開始まで時間がかかるわけですね。

 もう深夜12時を回っています。子供はもう寝ました。私は、せっかくの機会だから、起きて作業を見守りました。そうこうするうちに、尿意をもよおしました。この車庫に入る前、車掌が来てトイレに鍵をかけたので、今、トイレは使えません。

窓の下には作業員の姿が見えました。車輪が
外れないようにしっかりつけてね
こちらのトイレは垂れ流しなので、車両の付け替え時にトイレは使えないことは知っていました。「便器の底がパカッと空いて地面が見えた」という記述のブログもありました(私が小学校の頃のローカル線は、そうでしたよ。ローカル線でなくとも、新潟から上野行きの急行「佐渡」に乗ると、赤羽から先はトイレ禁止なんです。線路脇に住宅が多くなるからです)。ですから、家族には直前にトイレに行くように言っておきました。

 この車両は水洗トイレなので、今は大丈夫かな、と思いましたが、そうではありませんでした。水で流して濾過しても、その水を車両のどこかからその場で捨てているのでしょうか。いずれにしても、元のホームに戻らない限り、トイレが使えないのです。

 
トイレが近い人は必ず持って
行きましょう!
「いつまでかな」と意識すればするほど、尿意が強くなってきます。このあたりは、けっこう神経質なんです。万が一のため、防災用品の「固めるトイレ」を持ってきていましたので、それを使えばいい、という気持ちはありました。妻と子供は寝ているし。トイレの近い人で、この路線に乗る人は必需品です。

 しばらくすると、4号車があった側に機関車が連結されました。少しずつ動いて、ガチャコン、ガチャコンとの振動が何度か続きました。5~10号車がつながったのかな? すると、ホームのある側ではなく、反対側に行くのです。 ???? 

 ある程度まで行くと、今度は戻ってきて、隣の(3番目の)線に入り、連結したみたいです。そのあと再び、今来た側(つまりホームと反対側)に行きます。かなり行ったあと、また戻り、今度は別の線を通り、車両基地の横を通り、ある程度の場所に停まりました。

 この場面で5~16号車がそろっているみたいです。すると機関車が切り離され、来た方向へ戻っていきます。しばらくすると電源車と1~4号車の最初のグループがやってきて、連結されました。これでやっと元通りになりました。

 なぜ、来た道をそのまま帰れないのでしょうか? 来た時とまったく逆をやればいいじゃないか、と思いました。

やっと二連のホームへ戻ってきました
車両基地の方面を見て理解できました。来たところに元の車輪が置いてあり、そこを通ることができないのです。ですから、まったく別な線路を通ってホームに戻る必要があるんです。行ったり来たりしなければならないわけです。

 そうして、やっとホームに戻ってきました。この駅に到着してから2時間半くらい。乗っていた車両の車輪付け替えが終わってからも、ゆうに1時間以上がたっていました。時間はもう深夜1時近く。車掌の手によってドアが開けられると、駅舎から何人かの人がやって来ました。ここから乗る人は、到着した3時間前に乗る必要はないわけですよね。

 車掌に頼んでトイレを開けてもらい、用を足してやっとベッドに入りました。出発予定時刻をかなりすぎていましたが、まだ動きませんでした。しかし、しばらくすると、外から鍵を開ける音がしてドアが開きます。車掌です。ノックもせず、いきないりです。日本では、ちょっと考えられないですね。

深夜の二連のホーム。日本にはない「国境の駅」です
夜になる前に預けたパスポートが帰ってきたのです。よかったと思い、睡魔に引き込まれましたが、寝入った頃、また鍵が回される音がしてドアが開きます。やはりノックもなし。今度はモンゴル人らしい女性の車掌。モンゴル最初の駅に着いたのでしょう。

 車掌は、ベッドを上げろ、とのゼスチャア。何のことか分からず、何をすればないいの? という表情をすると、子供が寝ていたことに気づき、「ま、いいか」という表情になりました。

 でも、中に入ってきてトイレの中を見ます。あとで分かったのですが、ベッドを上げると、そこに荷物が入るスペースがあったのです。つまり、国境を超える時の荷物チェックだったのです。そして、パスポートを持って行きました。ま、必ず帰ってくるだろう、と思い、そのまま寝ました。もう深夜2時をすぎていました。

車両基地へ行く時には何人かが起きていましたが、ホーム
戻った時には誰もいなくなっていた通路
(4)に続く




2017年8月9日水曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(3)

(2)から続く

夕食は中国製の食堂車
国境の駅、二連まで、まだかなりあります。途中、横になってうとうとしたりしたあと、夕食を食べに食堂車へ行きます。午後7時。外はまだ明るいです。中国の間は中国車の食堂車で、そのあとはモンゴル車に変わるとのことです。

 メニューを見ると、中国語と英語。けっこう安いです。3人で食べて、ビールを2本飲んで、79元(約1422円)。そのメニューで朝食を見ると、10元とか書いてあります。翌朝、この車両はモンゴル車になることは知っていましたが、朝食の相場はそんなものだろう、と頭の中に入れました。

あと1品とビール2本を加えて3人で食べ、
1422円でした
しかし、この列車の乗客全員がこの食堂車を使ったら、まかない切れないでしょう。カップラーメンとか、何かを持って乗っている人が多いのだと思います。自分たちも、日本で寝台特急カシオペアに乗った時は、食堂車は使わず、上野駅で駅弁を買って乗りました。

 朝はどうしたんだったかな? あっという間に「食堂車は満席です」というアナウンスが流れ、結局、食べなかったような気がします。札幌着が午前11時くらいでしたから、我慢したような記憶があります。いや、上野でパンを買っておいたような記憶も。年ですね、1年半前のことが思い出せません。

国境の町、二連。16年前とほぼ同じ感じでした
夜10時近く。いよいよ国境の町、二連です。16年前の記憶がよみがえってきました。ほとんど変わりのない駅舎。でも、当時は北京発が早かったので、夜10時近くということはなかったように記憶しています。

 ここは3時間停車します。ここで全車の車両を付け替えるのです。中国とモンゴルはレールの幅が違うので、そうしないとモンゴルの線路へ行けないのです。その作業が約3時間、かかるんです。

 ずっと前、そのことを知った時、お客さんに乗り換えてもらえば簡単じゃないか、と思いました。でも、やっぱり面倒くさいです。長時間の旅なら、部屋である程度の荷物を出してのんびりします。それをまた整理して車両を移るのはバカバカしい。まして夜なら。

 車両を付け替えるこのやり方しかないのかな、と思いました。この車輪の付け替え、この町のひとつの売りになっているみたいです。列車に乗っていては、中からした見られませんが、本当のマニアはこの町に泊まり、許可をもらって車庫の中で見学できるみたいです(詳細は不明)。後で分かりましたが、貨物は車輪を変えるのではなく、荷物をすべて移し変えるのだそうです。

車庫の中(車窓から撮影)。オレンジ色の
コンベアで車両を持ち上げます
この駅で下車する人を下したあと、列車は車両基地へ向かいます。車庫に入り、1両切り離すごとに、ガチャコンという音がします。私たちは5号車。前の電源車+1~4号車とが切り離されたあと、来た方向へ引き返しました(この時、私達の車両が一番後ろ)。ある程度まで引き返したあと、今度はその隣の線に入ります(この時、私達の車両が先頭で進みます)。

 16両が1列で作業をするのではなく、6両くらいずつ3列(最後の1列は3~4両?)に並んで作業するみたいです。私達が停まった車両の隣には1号車の前にあった電源車みたいな車両があり、車両が早くも浮き上がっていました。両横からコンベアーみたいなものを差し、車体を持ち上げるのです。車輪の付け替えが始まったのでしょう

車窓から見えた看板。車両の付け替えをするのが
観光名物のひとつになってるみたいです
浮き上がったその電源車は、車体と車輪が完全に離れました。しばらくすると右側から新しい車輪がまとまってやってきます。6両分の車輪が来て、今まで使っていた車輪を押し出します。最初は機関車みたいなのが押していると思ったのですが、作業員が押していたみたいです。

 新しい車輪が各車両の下にセットされると、今度は車両が下がっていきます。でも、ここで不思議に思いました。前の車輪と新しい車輪、同じレールの上を走っているのです。ということは、車輪の幅は同じなのではないでしょうか。それなら、なぜ付け替える必要があるのでしょうか。

車輪の付け替え作業
もしかしたら、10cmくらい違っていて、ゆっくりなら同じレール幅を通れるけど、速いスピードなら、それができないのかもしれません。後日、このあたりの疑問を解決しようと思いました。

 次に私達の車両が浮き始めました。妻はもう寝始めています。辛うじて上がるところまでは起きていましたが、そのあたりで意識がなくなったと、後で言っていました。子供は、まだ頑張って起きています。車両が完全に上がったあと、デッキに行って後ろを見てみると、車輪が待機しています。6両が浮き上がるのを待っているのでしょう。

 しばらくして、その車輪が動き出しました。線路をよく見ましたが、線路が動いて幅が変わったとかには見えない。同じ線路で移動している。なぜ付け替えの必要があるのか、疑問でした。

 《注》
 日本へ帰ってネットでじっくり調べました。線路の幅は、モンゴル側が1520mm、中国側が1435mm。すなわち85mm(8・5センチ)違っているのです。しかし車庫内は、私の予想通り、その両方の車輪が乗ることができるような幅になっているそうです。
 8・5センチ差では、3本や4本のレールを敷くことができず、そうなっているそうです。直線で辛うじて動くことができる中間幅であり、スピード制限があるみたいです。

平原が続いた中国からモンゴルへの途上


隣の車両。車両と車輪が完全に離れています
最後にコンコンとたたいて、音を確かめていました

(4)へ続く


2017年8月6日日曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(2)

(1)から続きます

高包の部屋。2段ベッドと椅子がひとつあります
ウランバートル行きの列車に乗り、まず部屋に荷物を置きました。私たちの部屋は「高包」という2人部屋。小学生は添い寝OKだったので、この部屋にしました。そのほか、「軟臥」「硬臥」と呼ばれる4人部屋がありますが、そこを3人で使うと、1人、まったく別な人が入ってくる可能性があるわけです。

 「地球の歩き方」でも、そんな投書がありました。ある女性の投書で、4人部屋で自分とフランス人男性2人の割り当て。「2人が自分をとても気にかけてくれて申し訳なかった」との内容です。

 やはり、自分たちだけの空間でないと落ち着きません。そこで、大人2+子供1で「高包」を頼んだわけです。ベッドの幅を考えると、小学生の子供との添い寝はきつい。ウチの子は小さいので、まだよかったですが、大柄の子はさらに厳しいでしょう。でも、全然知らない人を加えた4人部屋では、パンツ1枚にもなれません。

水洗トイレが1部屋1個ついています
「軟臥」「硬臥」は、トイレは共同トイレですが、「高包」はトイレがついています(入ってみて分かったのですが、洗面所&シャワーも)。4人の家族旅行ならいいのですが、小学生以下を含む3人なら、2人部屋の「高包」です。

 で、荷物を置いて、3人で電気機関車を見にホームの最先端まで行きます。列車に乗ったら、この列車の全体像は見えないのです。最前部まで行って記念撮影。子供は心配性なので、「早く、早く(帰ろう)」と言って手を引っ張ります。ホームにある時計を指して「まだ10分以上もある」と諭します。

16年前にはなかったシャワーと洗面台
11時20分。あと少しで出発という時、ビデオを撮るのを忘れたので、出入り口まで行き、ちょっと体を出して撮影しようとしたら、そばにいた車掌から「ダメ」とかの声。別に、ホームに降りようとしたんじゃないんだけどなあ・・・。

 11時23分。予定より1分遅れてホームを離れました。ここから約27時間、この列車の中です。ふだん、家族で27時間も同じ空間にいることはないわけですよ。仕事に行ったり、小学校に行ったり。「27時間も同じ空間に一緒にいること、初めてかな」と思いました。ま、旅行の時は、場所は違ってきますが、だいたい一緒にいますけどね。

 トイレのドアが「Lock」になっているので、車掌に聞いたら、「ソーリー」と言って開けてくれました。ケアレスミスみたいです。16年前に乗った時の車両は、2部屋に1トイレ。一方が使うときは、反対側の鍵をロックし、出る時にそのロックを解除するシステムだったのです。ごく偶然に、両方から入ろうとすることもあったかもしれません。

各車両の通路。大型でなくとも、すれ違いは
かなり厳しい幅
でも、今回は1部屋に1トイレ。しかも、洗面所とシャワーがついています。16年もたてば、変わりますね。16年前は座席車もついていました。今回は先頭から最後尾まで歩きましたが、すべて寝台車。2人部屋(高包)が2両、ちょっと広めのベッドのある4人部屋(軟臥)が1両、あとは4人部屋(硬臥)が11両か12両、食堂車や電源車を加えて16両くらいの編成だったと思います。

 北京からしばらく行くと万里の長城が見えるとかでしたが、結局、分からずじまい。ま、いいでしょう。万里の長城は前日に行っていますから。街並みがなくなると、高い崖がみえたり、草原が見えたり、、、。北京で使えたアジア全域用のインターネットのルーターも、いつの間にか使えなくなっていました。次の都市に行ったら使えたりしました。まあ「全域」と言っても、人間はだれも住んでいないような途中の山岳や平原で通じないのは当然ですね。

 隣の部屋はオーストラリアの高齢女性の2人旅。妻は英語を話すことが仕事なので、廊下に出てどちらからともなく会話となり、いろいろ聞いたところ、ウランバートルのほか、ゴビ砂漠など23日間、モンゴルに滞在するのだそうです。(ウランバートルの駅で別れたあと、市内で2回、遭遇しました)

中国内は2駅に停車。最初の駅の呼和浩特(車窓
から反対のホーム)
見たところ、ともに70歳くらい? お孫さんもいるそうで、友達と2人で悠々自適の老後の楽しみという感じ。妻に「将来、こんな旅ができるようになるといいね」と言うと、「23日間なんて、いい」と、即座に拒否されました。確かに、23日間は長すぎるか。

 国境の町、二連までは呼和浩特の1駅しか停まりません。午後5時ころにそこへ到着。けっこう、降りる人がいます。この列車は中国の都市間での移動にも使われているみたいです。その場合は、当然、寝台は使わないでしょう。

 10数分停まるとのことなので、ホームに降ります。別のホームにも客車があります。それも寝台車。寝台車であっても、昼間の車両としても使う感じでした。次の停車駅は国境の駅、二連。そこまでは同じような風景が続きます。

呼和浩特でホームに降りてみた
反対のホームに泊まっていた車両。寝台車だった


別のホームにあった電気機関車

最後尾の車両から見えた光景
(3)へ続きます。

2017年8月3日木曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(1)

2017年7月25日(火)。いよいよ北京からウランバートルへの27時間の旅の始まり。実は17年前の2001年6月、結婚を控えた妻と2人で同じコースを旅行しています。今回は子供を連れての旅になります。

 出発前に気になったこと。北京発の時間です、以前は午前7時何分かの発車で、ネットに今でもその時刻の案内や旅行記が載っています。確かに朝早く北京駅に行った記憶があります。一方で、11時すぎとのブログなどもあり、心配でした。

出発時間は間違いなく11時22分でした
中国の旅行社に列車の手配をしてくれたK・Oさんが調べてくれ、11時22分とのことでした。疑ったわけではありませんが、一抹の不安も。7時発と思っていて11時なら大丈夫ですが、その逆なら、目も当てられません。ホテルに届いていたチケットを見ると、間違いなく11時22分。これなら、朝、余裕をもって出発できます。

 当日、9時45分すぎにホテルのコンシェルジェでタクシーを頼みましたが、こちらは行き先を聞くんですね。それによってタクシーが名乗りを挙げるらしいのですが、北京駅は近すぎて、応じてくれるタクシーがないのだそうです。

 10元(約180円)多めに払えば、とのアドバイスに応じましたが、それでも見つかりません。日本なら「タクシー1台」とリクエストすれば来てくれ、行き先で拒否したら乗車拒否となり、タクシー近代化センターに訴えることもできますが(確か3回の通報で営業停止)、国が違えば、やり方も違いますね。

 最悪、地下鉄で行くしかないか、と思いましたが、屋根続きの超高級ホテルの横の口から入り、いかにもそのホテルの客を装って正面のタクシー受付に行き、そこでお願いしました。ホテルの力関係でしょうか、10元プラスで見つかりました。

 まだ10時だったから焦りはしませんでした。異国では何があるか分からないので、早め、早めの行動ですね。

北京駅は目の前にタクシーが止まれない仕組み
です(撮影を忘れたので、この写真はパクリ)
北京駅に着きましたが、道路の関係ですぐ前には降ろしてもらえません。スーツケースを持って歩道橋を渡り、人ごみの駅前へ。まず「出口(Exit)」の文字。それなら「Entrance」の文字を探すと、はるか向こうに「Ticket entrance」の文字。そこまで行こうとすると、子供が「ここから入るんだよ」と言ってきます。

 「Entranceから入るんだから、向こうだよ。ここはキップを買う場所でしょ」と言って、Entranceへ。でも、そここそがキップ売り場の入口であり、子供の言っていることの方が正しかったのです。親のメンツ、丸つぶれでした^^;

 入口ではパスポートとチケットを示し、荷物を空港にあるような金属探知機に通し、係員のボディチェックを受け(空港ほど厳しくなく、形式だけという感じ)、やっと中へ。

 前日、北京~上海の新幹線を見ようと、子供とともに北京南駅へ行き、翻訳サイトで「私は新幹線を見たい。入場券は買えますか?」という日本語を中国語に訳して、紙に書いて案内で見せたところ、不可能とのゼスチャア。

 こちらは、気楽な気持ちで電車を見にプラットホームに行くことができないのですね。そういえば、地下鉄に乗る時も荷物を金属探知機に通します。朝夕のラッシュ時にもやっているのでしょうか。

駅の掲示板。上から4番目に「乌兰巴托」の
文字が見えました
出発の掲示板で「乌兰巴托」(ウランバートル)を見つけ、1番待合室へ。こちらは乗り場ごとに待合室があるみたいです。待合室の改札口付近にいた係員に念のため「ウランバートル?」と聞いて、「ここだ」との回答。出発まであと約40分。

 ホテルを出ようとしてから約1時間かかりました。サイトで「日本のように、出発直前に駅に到着しては駄目」というアドバイスを読んでいて正解でした。乗り遅れずにすみました。あまった時間でビールなどの買い出しをし、15分くらい前に改札口がオープン。

 あとで聞いて分かったのですが、オーストラリアのボーイ&ガール・スカウトの団体が40人くらいいました。高校生だそうです。

 列車は1番線から出発するので、階段を使うことなく、改札口のすぐ前がホーム(といっても、線路まで30メートルくらいある)。緑色の列車が待機しています。16年ぶりの大陸鉄道の始まりまで、あと10数分です。

ウランバートル行きの待合室。スタッフがバリケードになっていた
オーストラリアの高校生が大勢いた待合室
いよいよ改札口がオープン
日本の「トワイライト」を思い出させる車両の色
先頭でけん引する電気機関車
(2)に続きます