2016年8月14日日曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(2)…8月12日(金)

 【8月12日(金)】
7時頃になると込み合ってきたアブダビ空港のフードコート
出発前の激務(「貧乏、暇なし」なんです)もあり、食事が出てくる前にウトウト。食べたあと、本格的に寝て、約12時間後にアブダビへ到着。現地時間で午前4時。24時間空港なんでしょうが、空港は空いていました。

 布施記者がエティハド航空のプレミアムカードを持っていたので(なんで? この航空会社をそんなに使っているの?)、同航空会社のラウンジへ行ってみました。布施記者はもちろんタダ。同行者が2時間で約30ドル。オリンピックはただでさえ金を使うので、できるだけ控えようとなって、私達3人はやめて、コーヒーショップへ行きました。

 布施記者のみが、フリードリングの豪華な部屋でトランジットをすごしました(私はデルタ航空の同様のカードを持っています、、、、←自慢!)。

 トランジットの時間は約4時間。執筆や朝食ですごします。最初のうちはスムーズだった空港の無線LANは、人が増えるにしたがって動きが鈍くなります。最近は、パソコンは持っていなくても、スマホで無線LANを使う人が多いですからね。

アブダビ空港
サンパウロ行きの約1時間ちょっと前に39番ゲートへ。まだ時間があると思い、電源のあるコーヒーショップで少し作業。外国用のプラグをスーツケースに入れてしまったことに気がつき、保高カメラマンに借りてパソコンの充電。すると、もう39番出口で人が動いています。

 前のフライトだろうと思って確認に行くと、サンパウロ行きです。まだ50分もあるのに、と思いましたが、飛行機までバスで行くみたいですから、こんなものかな。コーヒーがもったいないし、長蛇の列なので、「この列がすくまで、ここにいよう」と、のんびり構えました。

 増渕記者のメールに、布施記者から「もう搭乗、始まったよ」という焦ったメール。気がつくと、私の電話にも布施記者から4回も着信あり。気がつかなかった。ゴメン。で、増渕記者に「そのへんにいるよ。探してきなよ」と捜査依頼。すぐに戻ってきて、「先に乗っているそうです」とのこと。

鄭智鉉と増渕記者
8時10分すぎ、列がすいたのを見計らってゲートへ。25分前でも「ファイナルコール」という声が聞こえた。バスへ乗って増渕記者を見ると、日本人ではなさそうだが、東洋の若い男と話している。どちらが先に話しかけたのか分からんが、若い男とはすぐに話し始めるのが、この子の特徴だ。

 あとで分かったことだが、2004年アテネ・オリンピックの男子グレコローマン60kg級王者の鄭智鉉(ジュン・ジヒュン=韓国)だった。一方的だけど試合会場では何度も見ていたし、2013年12月に来日した時は取材までしていたのだけど、ヘアスタイルが変わり、やや茶髪にしていたので、言われるまでまったく気がつかなかった。

 男も女も、髪型によって雰囲気がまったく違ってくるんだな。そういえば、今回の保高カメラマンもヘアスタイルを変えていたので、成田空港でも遠くにいた時は気がつかなかった。では、私もヘアスタイルを変えて、イメージチェンジしてみようか…。ま、それをやってくれる理髪店は世界のどこを探してもないだろうが!

増渕記者撮影の私の後頭部。薄くなりましたね~!!!
サンパウロまでの飛行機はけっこう空いていて、窓側の3席で私だけ。他の3人も、いずれも隣に人がいない。私の後ろの席が増渕記者。「まぶしい!」というつぶやきが聞こえたので、上下に動くヘッド何とかを最高に上まで上げる。「そんなことしなくてもいいですよ」とゲラゲラ。だったら、変なことつぶやくな!

 私は時に3席すべてをつかって横になり、グーグーと寝ました。今度は13時間。アフリカのサハラ砂漠を東から南にかけて通過し、大西洋をわたってサンパウロに到着します。

 アブダビまではけっこう寝ていましたが、ここはあまり長い時間寝られず、起きている時間の方が長かったので、長く感じました。でも、3席をつぶして横になれたのは疲労軽減になったと思います。

 そしてサンパウロ。ここからは国内線なので、荷物を持って国内線へ移動です。オリンピックゲートが用意されており、オリンピックのIDを持っている人は別の窓口で通関手続きができるのです。すいていたから、あまり変わらなかったけど。

記者の悲しき習性! ちょっと時間があると、すぐにパソコンを開く 
ここでも4時間以上の乗り継ぎ。いろんな手続きや国内線までの移動があったので、実際は3時間を切っていました。でも、パソコンを開くという記者の悲しき宿命! 

 ホームページにアップしないとならない記事が未完成なのです。飛行機の中でもぱそこんを打ちました。インターネットがない時代の移動、そして現地での仕事の方がずっと楽でしたね。

 小さな飛行機に約1時間揺られ、うとうとしたと思ったらリオデジャネイロ。国内線だからでしょうか、「ここが、リオデジャネイロ?」と思えるようなローカルのたたずまい。しかし、計34時間(フライト12時間、トランジット4時間、フライト13時間、トランジット4時間、フライト1時間)の疲れもあり、早く本格的に横になりたい。

 チャーターしてあったワゴン車で宿舎へ。途中、リオの名物ファベーラ(スラム街)とおぼしき地区の灯りが見える。ここに入ったら、身ぐるみはがされることも覚悟、という地域。中には信号待ちの車を襲う、という話も聞いたが、そんなこともなく、深夜1時ころ、宿舎(自炊式アパートメント)に到着。

 東京の家を出てから43時間! 人生で最長の長旅でしたが、仕事はここから始まります。(続く)

夜のサンパウロ空港

日本の地方都市の空港より古い(由緒ある)


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