2016年8月24日水曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(11)…8月21日(日)

 【8月21日(日)】

 いよいよ最終日。疲れとともに、どこともなしに最後だという寂しさが。しかし、朝から豪雨。当方、日本から傘を持ってくるのを忘れていたので困った。まあ、この豪雨なら、傘があっても用をなさなかっただろうが。
日本人記者がいないと、記者席はガラガラ。世界的に
レスリングそのものの人気は低いことを実感

 タクシー呼べる環境ではない。日本選手が出ないこともあり、小降りになることを期待して部屋で待機。女性軍にその旨を連絡すると、「日本選手がいないし、午後からでもいいんじゃないですか?」との連絡。最終日は閉会式の関係で時間が早まっていて、午後は12時15分から。

 ま、そこまで遅くならなくとも、午前の部の開始の8時45分には間に合わない。布施記者は最初から午後を目当てに、部屋で執筆だ。女性軍2人はどうするのか。

 少しすると、やや小雨に。布施記者が傘を持っていたので、借りて近くのスーパーへ傘を探しに。しかし、売っていない。やむをえず、こちらで買ったという雨合羽を貸してもらい、強行する。運よく雨は小雨になってくれたが足場が悪く、会場に着く頃にはシューズがぐっしょり。

 予想していたので、別の靴を持ってきた。濡れた靴は古いもので、こちらで捨てて行こうと思っていたものなので、ちょうどよかった。増渕記者は「そんなに降ってましたか?」。う~ん、数百メートルの違いで、雨の量が大きく違っていたのか・・・

 試合では、97kg級で米国のカイル・スナイダーが優勝。20歳での米国史上場最年少のオリンピック王者、米国フリースタイル史上50人目のオリンピック王者と記念すべき勝利となりました。金メダルの継続は、2000年シドニー大会でいったん途切れました。しかし、優勝選手にドーピング違反が発覚し、2位だった選手が繰り上がっての優勝となりました。

マット上で裸になり、猛抗議するモンゴル・コーチ
米国は運があるのでしょうか。しかし、かつてソ連と真っ向からやり合っていて、国別対抗得点の優勝を争っていた時代には、ちょっと遠いですね。

 その前に、判定をめぐってモンゴルのセコンドがマット上で猛抗議というシーンがありました。服を脱ぎ始め、一人はパンツ1枚。一瞬、パンツも脱いで放送停止にするのでは、と思いました。

 7-6でリードしていたモンゴル選手が、最後、鬼ごっこのように逃げ回り、逃げ切ったと思ったら、コーションの1点を取られて7-7。ラストポイントで相手の勝ちになった試合です。いくらラスト30秒は勝敗を左右するコーションは下さない原則があるとはいえ、ちょっとひどすぎましたね。鬼ごっこですもん。

 これなら、私も世界チャンピオン相手に3分間を0-0で闘えるかもしれない、と思えるような鬼ごっこ。コーションは当然だと思いました。遠目には分かりませんでしたが、ミックスゾーンへ行ってみると、一人は私の知り合いのコーチでした。でも、とても声をかけるムードではなかったです。

全競技が終わり、観客もいなくなったオリンピックパーク
もう一人のコーチはきちんと報道陣に向き合ってくれたので、きのう、きょうと、日本人記者で唯一会場に来ていた共同通信の森本記者につられるように話を聞きました(ボランティアが英語に通訳してくれます)。それにしても、日本人選手がだれも出ていないのに来てくれる森本記者、貴重な存在です。

 モンゴル協会の朝青龍会長は前日に帰国したらしいですが、森本記者と「朝青龍がいたら、どんな構想とったかなあ」と話しました。

 このあと、ビル・メイさんらとともにUWWの打ち上げパーティーへ。ちょうど、ネナド・ラロビッチ会長の誕生日なのだそうです。私は、IDカードを取ってくれた元IOCメディア委員会のボブ・コンドロンさんに会いたく、行くことにしました。

 メイさんらUWWメディアのメンバーと予約したタクシーを待つけど、なかなか来ない。1時間近く、雨と風の中(雨は当たらない場所にいたけど)で待ったけど、来ない。メイさん、「私は行かない」と言って戻りました。その10分後くらいでしょうか、やっとタクシーが来てくれました。

レスリング・ハウスではカーニバルを模したダンスが披露された
2日前に行ったレスリングハウスで、保高カメラマン、増渕記者と合流。福田会長と富山理事もいました。すごい雨と風のため、途中で停電。私は記者の七つ道着のひとつのペンライトでテーブルを照らし、富山さんに対して、私の頭を照らして「明るくなっているでしょう」とふざけました。

 富山さんはゲラゲラ笑い、福田会長の頭を指して、「こっち」と、さらに笑います。会長の頭を目の前でネタにできるのは、レスリング界では富山さんと栄強化本部長くらいでしょうか(私は、言えません!)。

 そのペンライトを持ってトイレに行くと、隣に福田会長が。会長の方を照らすと(別段、明るくはならなかったと思うが…)、「いいものを持っているな」と言ってきました(たぶんペンのことだと思います。下半身は見えなかったので)。「記者の七つ道具です。最近は、決勝戦などはショーアップのためマット以外の照明は落とすことが多く、その時に机を照らしたりします」と答えました。思わぬ時に役立ちましたね~。

ブラジル・ガールと記念撮影
その福田会長、「閉会式はちゃんとできているのか?」と心配していました。保高がスマホでネットを見ようとしますが、速度が遅く、なかなか通じません。やっと通じて、「何とかやっているみたいです」とのこと。閉会式の場所は、雨は降っていなかったのかな?

 結局、コンドロンさんは来なかった。お土産は航空便で送ろう。

 帰りはメーター付きの正式なタクシー、前日の10倍の距離は乗りましたでしょうか。で、値段は昨夜とほぼ同じ70リアル。前日が、いかにぼったくりかが分かりました。

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(10)…8月20日(土)

【8月20日(土)】
目の前をプロポーション抜群の黒人3人が歩いていた

 会場までの道、後ろから見ると肩の周辺の筋肉がすごいナイスバディ―の黒人女性3人が歩いています。ぜい肉のない体からして、何らかのスポーツをやっているのかな。黒人3人組の歌手、スリー・ディグリーズを思い出しましたが、今の人は知らないでしょうね。

 コンパス(もう死後かな? 小学生の授業で使う文房具のことではないですよ)もあるので、歩くスピードも速く、追い越すことはできません。かといって、3人の女性の後をぴったりくっついて歩くのもはばかられるので、わざとゆっくり歩いて距離をとったり、スマホを出して、こっそり撮影したりして場をしのぎました。

 一番左の人の服、けっこうあちこちで見かけますが、生活の中でずり落ちることはないのでしょうか。ちょっぴり気になっています。

 さて、日本の協会関係者や応援団の大半はこの日に帰国。会場は、記者を含めて日本人がほとんどいなくなりました。東京でも、こんな日があるのでしょうか。以前は開催国は1階級1人、無条件で認められていましたが、国際オリンピック委員会の方針で、それはなくなったのです。

 今回のブラジルは16階級中5階級の出場。すべて自力での出場枠獲得でした。

UFC入りが決まっているマコフは初戦敗退。外でがっくりと
うなだれているところを盗撮した
午前のセッションでは、125kg級で過去3度世界王者になり、昨年の世界選手権は3位だったバイラル・マコフ(ロシア)が初戦でウクライナ選手に逆転負け。すでに、米国の総合格闘技入りが決まっており、総合の練習もしているとか。

 総合格闘技の記者でもある布施記者に「ネタがひとつできたね。総合の練習をやってうるような選手は、オリンピックで金メダルを取ることは難しい」と伝える。レスリングの動きがあるとはいえ、両者は別物。同時にやっていて優勝できるほど、甘い世界じゃないわけです。

 山本KIDがレスリングに復帰参戦した時、当時の全日本王者が「負ける気はさらさらないです」と語気を強めたことを思い出した。専門家には専門家の意地があるんですよね。

 日本選手がいないこともあり、午前と夕方のセッション間に増渕記者、布施記者とパーク内に出てみました。このパーク内に入るには、何らかの競技チケットを買う必要があるそうです。特にどの競技、ということでなく、とにかく入ってみたい、という人に人気な競技のひとつがレスリングだそうです。前売りの段階で完売されておらず、入場料が安いからです。


ですから、チケットは当日になって売り切れになっても、会場はスカスカ(私の頭のことではありません)ということもあるわけです。ちょっぴり寂しい人気ですね。前売り券の段階で完売するようであってほしいのですが…。

この日のお昼ごはん。これで約900円
でも、このやり方、ちょっとおかしくないですか? 商魂たくましすぎるというか…。パーク内くらいは自由に入れてほしいですね。初めて広場のフードコートで食事したのですが、ぼったくりと思えるほど少量で高いし、グッズの売っている建物は数百メートルもの列。そのくらい商品がさばけているわけで、入場そのもので金を取らなくとも、しっかり稼げると思うのですが。

 午後のセッションでは、86kg級でサデュラエフ(ロシア)が予想通り優勝。10代で2度世界チャンピオンとなり、20歳3ヶ月でオリンピック王者です。ビル・メイさんに「史上最年少?」と聞くと、19歳の王者が2人いると教えてくれました。さすがメイさん。世界のレスリングの記録については、頼ってばかりです。

 夜は、布施記者とともにメイさんと食事に行きました。最初に行ったステーキ店。ちょうど、吉田沙保里選手のライバルのソフィア・マットソンのお父さんがいました。メイさんの顔見知りです。今回、マットソンは3位に終わりましたが、肩けがしていたそうです。で、現役を続けるかどうか聞いたら、続けますとの答え。ヘレン・マロウリス(米国)も年齢からすればまだ続けるでしょう。4年後に向けて、53kg級はマロウリスとマットソンを中心とした展開となるでしょう。日本はだれが加わるかな?

ソフィア・マットソンの父と記念撮影
食事の最中、大きな歓声が沸きます。大きなビジョンでサッカーの決勝、ブラジル-ドイツをやっていたのです。PK戦の末、ブラジルが優勝。その瞬間、フードコートが爆発したことは言うまでもありません。

 帰り道、藤森広報委員長と事務局の高橋君とばったり。高橋事務局員は明日、帰国するそうです。また一人、日本人がいなくなる。「いよいよ寂しくなるね~」という言葉が出そうになったが、高橋事務局員の頭を見たら、言えなくなった。

 東京オリンピック組織委員会のメンバーとして来ている藤森広報委員長は、閉会式翌日のフライトを取れず、23日に帰国の途につくそうです。最後まで+α、ご苦労さまです。

 歩いて帰るのは、疲れが限界だったので、白タクをつかまえ、値段交渉。100リアル(約3500円)と言ったところを、65リアルまで下げ、乗ることにしました。あとでぼったくり料金だと分かりましたが、乗る前に同意した金額なので、”ぼったくり”とは言わないでしょう。こんなことも、ありますよね。

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(9)…8月19日(金)

 【8月19日(金)】

 朝、いつものように起きてネットで日本のニュースをチェック。4連覇ならなかった吉田沙保里の記事が多い。「期待にこたえられずに申し訳ない」など。あやまる必要はないんだけど、日本人はこうしたケースでは、必ず謝りますね。

 米大リーグのヤンキースにいた松井秀樹がけがをして欠場になった時も、「ファンに対して申し訳ない」と言いましたが、それに対し、米国人は「なんで謝るの?」と不思議がったことを思い出しました。

なぜか長蛇の列となっていた入場ゲート
私は純粋な日本人で、感覚も日本人そのものなんですが、この件に関しては米国人の感覚を支持しますね、なんで、沙保ちゃん、謝るの? って感じ。よくやったと思うし、謝る必要はないと思います。3連覇だってすごいこと。日本チームを引っ張って来たことを、誰もが感謝していると思います。

 この日はなぜかゲートが長蛇の列。いつもと同じ時間だというのに、なぜだろう。閉まっているゲートが多いような気がする。それが原因か。

 さて、日本チームにとっては最終日。見慣れた会場の日の丸も、この日が最後かな、と思うと、ちょっぴり寂しい気持ち。その気持ちを打ち返すかのように、樋口黎選手が勝ち進みます。

 私と同姓です。吹田市民教室でやっていた時に、お母さんにあいさつされたことあります。以来、親しみをもって陰ながら応援してきましたが、20歳でこんな晴れ舞台に出るとは思っていませんでした。吹田市民教室の故押立吉男会長も天国で喜んでいるのではないでしょうか。

レスリングハウスに向かう増渕記者。そばに屈強な
ボディガードがいた!
午前と夕方のセッションの間は、UWWが市内に借りてオープンしているレスリングハウスで、協会関係者や応援団のプレ打ち上げ会(まだ樋口選手が終わっていないので、打ち上げとはなりません)。グレコローマンと女子の選手も来てくれました。

 UWWが期間中に借り切った別荘的な食事場所で、UWW首脳はここでVIPを接待しているみたいです。総額2億6000万円とか。UWWって金持ちなんですね~。東京オリンピックでも、こうした場所を確保したいみたいです。どこかいい場所ありますかね。2億6000万円、稼げるんですよ。

 この日は2時45分から、メーンプレスセンター(MPC)でUWWによる伊調選手の会見がありますので、伊調選手は2時すぎにひと足先にMPCに戻ります。私もそれに参加するため、UWWのアンさん、伊調選手とともにMPCに向かいます。

男子グレコローマンと女子の選手が勢ぞろい
「4連覇の選手と同じ車に乗れるなんて、光栄だね!」と言うと、伊調選手は「何言っているんですか。いつもと同じじゃないですか。何も変わらないですよ」との答え。「今後、100年間は出てこない偉業だよ」と言っても、「そんなことないですよ」。沙保里選手も伊調選手も、偉業を達成しても、おごり高ぶった態度はまったくないですね。

 車の中では、アンさんも、運転手も、スマホでカオリンとのツーショットを撮影。それなら私も、とお願いしましたが、私がスマホを使い始めたのは今年1月から。まだ使いきれておらず、自分の方を撮影するやり方を知らないのです。

 カオリンに「どうやる?」と聞いたら、教えてくれて、目の前スマホ画面に自分たちが映りました。シャッターを押そうとすると、自分の手が映ってしまい、顔が隠れます。「ここがレンズです」と教えてくれましたが、今度はシャッターが押せません。

スマホの使い方が分からず、やっとの思い出撮った1枚
なんとかこうとかで、やっと1枚、撮れました。後ろから(私が助手席に座り、その後ろがカオリン)、「これだからオジサンは困るのよね~」との鋭い視線…は、なかったと思います。そんなこと思わない人間性だと信じています。「まぶしい!」ともつぶやかなかったし。

 「スマホ使ったの、今年1月からなんだ」と言い訳をすると、「それじゃあ仕方ないですね」と返してくれました。

 さて午後のセッションでは、”わが弟”が決勝で惜敗し、日本レスリング史上最年少のオリンピック金メダリストを逃しました。あのレフェリーを見た時、隣に座っていた共同通信の森本記者に「あのレフェリー、下手くそなんですよ」と教えました。

 まあ、判定については、おかしいとは思いますが、言ってはならないですね。どんなに言っても勝敗は変わらないですからね。フェイスブックなどでは判定への疑問も少なくありませんでしたけど、もし逆、つまり日本選手が最後にあのような防御で逃げ切ったとしたら、「あの判定はおかしい。○○は負けだった」とは、絶対に言わないと思います。

MPC内にある指圧センター。保高カメラマンが試して、
けっこうよかったとか
“弟”の言葉で印象に残ったのが、「努力でここまで来たとは思っていない。好きなことをやってきただけ」という言葉です。人生、これが大事だと思います。

 私もよく協会ホームページにお褒めの言葉をいただきますが、「苦労している」とは思ったことないです。やりたいことをやっているだけ。他の仕事なら、「この仕事量・内容でこの報酬?」と思うことをやっていますが、強制されているわけでなく、自分がここまでやりたい、と思ってやっていること。そうでなければ、できないことですね。

 ですから、自分の子供にレスリングはやらせていません。子供にとって体にいいスポーツとは思いますが、やりたいとは言わないですし、スポーツでなくとも、没頭できるものを見つけて、それに打ち込んでくれればいいと思います。

 それは、若い時には見つけられないかもしれません。私がプロ野球かプロレスの記者が自分の一番ぴったり職業と感じたのが大学4年生の頃、今の仕事をやりたいと思ったのは、27歳くらいの時ですからね。

 話はそれましたが、"弟"には、来年の世界チャンピオンを目指してほしいと思います。オリンピック翌年の世界選手権は、強豪が休養するケースが多いので、チャンスなんです。

2016年8月21日日曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(8)…8月17日(木)

 【8月18日(木)】

宿舎のそばにあったバドミントン会場
金メダル3個を取った後を受けての女子2日目。この日は場所が分かったバドミントン会場を通ってみようと思い、いつものコースとは別の道に行きました。うまくいけばメーンプレスセンターまでバスで行けるかもしれない、という気持ちもあった。

 しかし、結果として三角形の2辺を通ることになり、遠回りに。メディアの入り口は反対側。シャトルバスはあるかもしれないけど、こんな時間に頻繁に動いてはいないだろうから、結局、徒歩の安全策を取りました。

 無駄になったけど、これをマイナスと考えないところが、最近の私。「この道を行っても、遠回りになることが分かった」と前向きに考えます。子供の頃はけっこうマイナス思考だったのですが、今はかなりの部分でプラス思考ですね。

 私の好きなエジソンの言葉に、「私は失敗したことは一度もない。うまくいかないことを発見したことは数限りなくある」があります。あと、有名な「この道を行けば、どうなるいことか、危ぶむことなかれ。危ぶめば道はなし。(注略)行けばわかるよ」ですね。

バドミントン会場のそばにあったBRTの駅
観客席で協会事務局の武田さんに遭遇。「あっという間に終わるわね~」。日本選手が出るのは翌日の男子フリースタイル1日目までで、武田さんたちはその翌日に帰国するので、「もう終盤」という感覚なんですね。

 私たちは日本選手が出なくても最後までいるので、「やっと後半スタート」という感じなんです。8日間は長い。終わってみれば、あっという間だろうけど。

 観客席は前日同様、日の丸が多い。記者席前のテレビを見ると、浜口京子ちゃんが会場をバックに何かレポートしている。日本テレビの解説か何かで来ると言っていた。どこにいるかな、と探してみると、私達の記者席側だけど、ちょっと離れた特別ブースみたいなところからだった。
 それにしても、日本で放映されている画像(たぶん生中継)が、目の前のテレビで見られるとは思わなかった。放映権を持つテレビ局と組織とが密接につながっていることを実感。京子ちゃんには解説デビューの取材でもしたかったが、いつ放送が終わったかも分からず、結局、会えずじまいだった。


地元選手への熱狂的な応援
それにしても、サーバーがつながらない。24時間以上、ほとんど不通のまま。この日も日本時間の午後10時から吉田沙保里らの試合があるので、つながる可能性はほとんどなしだと思う。下書きづくりに専念するしかないが、きちんとタイトルをつけていても、何が何だかわらかなくなりそう。

 1回戦でリオ(渡利璃穏)が地元の選手に敗れた。すごい声援だった。南米の人特有のムードもあるのだろうけど、地元の選手が出ると盛り上がる。しかし、試合後の渡利選手は「試合に集中していたので、気になりませんでした」。こうでなければならないでしょう。

 午前と夕方のセッションの間は、持参したカップヌードル。どこかに食べに行く時間などない。メディアセンターを見ると、数人が同じようなことをしている。報道記者・カメラマンというのは、同じような行動になるんだな。忙しい時はカップヌードルを食べながら、パソコンを見て、さわるような人でなければ、報道の世界ではやっていけないでしょう。サーバーがつながらないので、いつもより余裕があるんだけどね。

4連覇ならず、母に駆け寄った吉田沙保里
そして午後。4連覇を目指していた吉田選手、その思いを達成することができませんでした。相手のマロウリス(米国)は、国民栄誉賞の決め手となった2012年世界選手権の決勝の相手。その時は手も足も出なかったんですよね。ま、去年は55kg級で世界一になっているので、成長していることは予想していましたが、試合前、米国協会ホームページの記者が「(マロウリスは)勝てないよ…」と言っていました。

 あと1年なら分からないけど、今年は帳尻合わせであっても吉田が上回るのでは、と予想していました。負けた時、16年前のシドニー・オリンピックでアレクサンダー・カレリンが負けた時のことがフラッシュバックしました。あの時も、相手は米国選手。米国応援団の大声援の一方、声が出ない人もたくさんいて…。

 観客席にいた布施記者によると、日本の応援席は「まるで通夜」。だれ一人として声を出すこともできない状態だったそうです。

 吉田の連勝記録に注目したのは私です。119連勝でストップしたあと、「個人戦の連勝記録」で再度アピール。最初は「個人戦だけではね~」と言っていたマスコミも、「200連勝」くらいになると、大きく扱ってくれました。

 栄本部長に「やっと(マスコミに)相手にしてもらえたね。最初はシカトされていたけど」とメールすると、「樋口さんのおかげだよ」と言ってくれた。その歴史にピリオドが打たれた。カレリンの負けも寂しかったけど、沙保里の負けも寂しかった。

 でも、これが勝負の世界。表彰式で「星条旗よ、永遠なれ」が流れ、満面の笑みと目を真っ赤にしたマロウリスの顔がビジョンに映し出された時、「よくやったね」と、こちらの目頭も熱くなりました。歴史的な勝利は、だれをも感動させる力があります。

 夜、栄本部長から「本当に残念だ」とのライン。「よくやったよ。カレリンも負ける日がきたんだ。どんなスーパースターでも、その日が来るんだ」と返信。慰めの意味をなしたかどうかわからないが。

2016年8月20日土曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(7)…8月17日(水)

【8月17日(水)】
日本人記者であふれたこの日の記者席
いよいよ女子がスタート。いつになく日本人記者が多い。それを見越して早めの会場に到着。自由席なので、席取りがあるのです。多くの社が前日、テーブルの上に名前を書いた紙を貼ったりして確保しておくのだけど、掃除の人にはがされることも多い。

 案の定、多くのところがはがされていたけど、私は名刺を貼っておいたのがよかったのか、はがされることなかった。でも、早く来たのでいつもの階段に一番近いところを確保。増渕記者は、こちらが確保した席に、遅く来て当然のように座る…。こちらの努力と思いやりが通じているのだろうか。

 女子3階級となれば、当然、仕事が多くなることを覚悟したが、肝心のサーバーがダウンしてしまい、仕事ができなくなったのです。人間でも1ヶ所に大勢の人が詰めかけると動きが鈍くなってしまいますが、コンピューターもそれと同じことが言えるのです。

サーバーがダウン。この画面が続いてホームページの
更新できず!
動きが鈍くなるどころか、この日はアクセスができません。これまでにも、全日本選手権の後などには、一時的に不通になることがあり、今回も予想はしていましたが、、、、、試合開始は日本の深夜だし、そう長時間つながらなくなることもないだろう、との見込みがありました。

 でも、つながらない! 記事だけでもつくっておけば? と思う人もいるでしょう。確かにパソコン上にワードなどで下書きしておくことはできます。でも、サーバーがオープンしない限り、ホームページの記事を作ってアップしておくこともできないのです。

 東京オリンピックへ向け、サーバーの増強を含めた問題の解決が課題です。先立つものが必要なわけですから、説得材料を集め、粘り強く交渉してきたいと思います。

 さて、試合はやけに時間がかかります。前日までのグレコローマンは1日2階級でしたが、この日は3階級。これでは時間がかかるのは当然ですよね。女子は、確か2004年アテネ大会は1階級12選手だったのではないでしょうか。

 でも、今は18選手(階級によってはワイルドカードが加わるので、19とか20)。男子と1選手くらいしか変わりません。ならば、女子も3日間でやっていいのではないでしょうか。東京オリンピックの課題ですね。

男子以上に日本からの応援団が多かった
観客席取材の布施記者からは、家族取材のテレビ局が多くて大混雑だから、何とかした方がいいのでは、との連絡あり。私もロンドンで経験しています。規制する人がいないし、テレビ局というのは平均して強引に撮影するから(反論あるかもしれないけど)、家族がかわいそうと思った時がありました。

 家族としては、取材してもらっているのだから、むげに断れない、という思いがあると思います。毎日というわけではないし、つっけどんな態度をとって、それをテレビで流されても困るでしょうし。

 でも、協会がどこまでやるべきか、という問題が出てきますよね。選手の家族は協会の人間じゃないわけで、協会が管轄すべき人たちではない、という理論は間違ではないと思います。ですから、冷たい言葉かもしれませんが、自分たちでやってくれ、なんですよね。

 布施記者の気持ちはよく分かりましたが、私は「協会としては、観客席にいる人のことまでは関知できないんですよ」と答えました。

ミックスゾーンでのテレビ局の取材(ペンメディアの向こう側)
3階級で決勝に進みましたので、夕方の記者席やミックスゾーン(取材エリア)はごった返しています。試合が終わった選手は、アリーナからミックスゾーンにやってくるのですが、順番があって、まずオリンピック放送機構(OBS)がインタビューします。

 そのあと、各テレビ局のゾーンを通って、最後にペンメディアのゾーン(参考までに、私はUWWのプレスカードで、この範ちゅうに入ります)。なぜ、この順番か分かりますか? 金ですよ、金! OBSはともかく、テレビ局は金を払って放映権を買っているわけです。組織委員会にとっては上客です。

 金を払わない新聞・雑誌社より、そちらを優先するのは当然でしょう。でも、長すぎる。選手がなかなかやって来ない。以前は、OBS何分、テレビ局は合同で何分、そのあとペンメディア何分ご決まっていたような気がしますが、各テレビ局が個別にインタビューしています。だれも時計をはかっていません。

 JOCの竹内広報を見かけたので、声をかけ、「テレビ取材の時間制限ないんですか?」と聞いてみましたら、「ない」との答え。「以前、(竹内さんが)ストップウォッチを持って時間を測っていたじゃないですか?」と聞くと、「何大会前の話?」と笑い出した。時間制限は廃止され、テレビ局は個別に何分でも取材できるようになったのだそうです。

ペンメディアの取材シーン
有名人を連れてきてインタビューさせる局もある。「このあと何を食べたいですか?」とかの質問もあるみたい。試合直後に聞くことじゃねーだろ! 新聞記者は、試合のことを取材したいんだし、選手だって、試合のことを聞かれたいんじゃないの?(勝手な思い込みか?) 

 というか、選手は、以前は3ヶ所でインタビューに答えればよかったところを、今は5ヶ所、6ヶ所でインタビューを受けます。これも大変だ。選手にも大変なことを強いているこの制度、一考の余地があるんじゃないのでしょうか。

 ま、何を言っても金を払っている人には勝てないのが世の中。取材に際して組織委員会に1円も払っていない新聞・雑誌社は、いずれ淘汰される運命なのでしょうか。ま、そうなったらそうなったで、オリンピックは変な方向に行くと思います。

 権力の監視がメディアの使命。外部からの監視を拒否し、金で自由になるところだけを相手にする組織は、絶対に長続きしない!(と言っても、貧乏人の愚痴としか思われないでしょうが…)

 で、日本が金メダル3個。すごいですね。でも、外国も頑張ってもらわないとなりません。レスリングが”世界のスポーツ”になるためには、望ましいことではないのです。かといって、わざと負けることもできませんし…。

2016年8月19日金曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(6)…8月16日(火)

 【8月16日(火)】

分かりづらいが、ライフル銃を構えた軍隊を見かけた
前夜の一時的な雨が信じられないくらい、朝から強い日差し。この日も暑くなりそう。南半球で冬だとばかり思っていたけど、予想外。夜は怖くて警戒し、足早に歩く道も、朝日を浴びての徒歩だと、森林浴にもなって(2車線のバスが行き交う道。排気ガスもあるので、森林浴にはならないか)、健康的。

 オリンピックも12日目となると、警備もけっこうゆるやか。入場ゲートでも、荷物を通すだけという場合もある。最初は「パソコン出せ」で、訳の分からない物体が見えると、「これを出せ」だったけど。ま、そのゲートにもよるようだが。

 この日は井上智裕選手が出場。日本選手の出場のなかったきのうよりは、日本人記者の姿を見かける。彼は試合の前日までフェイスブックに組み合わせとかをあげ、必勝を多くの人に宣言している。SNS時代の申し子みたいな選手だ。記者も時代のニーズに合わせて行動しなければならないことを痛感。

解説をやっていた湯元健一さん。「グレコローマンのルール
大丈夫?」と聞くと、「斎藤先生(審判委員長)からしっかり
教わってます」-。
もちろん競技団体も。今は多くの現役選手がフェイスブックに参加し、情報を交換し合っている。それに合わせた広報体制が必要なのですが…。

 さて井上選手、初戦で2014年世界チャンピオンに黒星。がぶり返しで一気にやられてしまった。しかし、相手は強い選手だから敗者復活戦の道が残されている(決勝に進めば、井上が敗者復活戦へ)。しかし、ミックスゾーンでの記者の質問は、もう終わり、みたいなものもあったそうだ。「今後は?」とか。

 増渕記者が「まだ。試合があるかもしれないんですよ」と口をはさんだそうだけど、このルールは、取材のタイミングが難しいといえば、難しい。

 お昼は、いつもメーンプレスセンター(MPC)では飽きてしまうので、初日の前夜にメイさんの案内で行ったステーキ店へ布施記者、増渕記者と行ってみる。MPCでしっかり食べようと思うと、3000円くらいはかかる。ステーキ店では、この前、ビールなどを入れて1人あたり3000円くらい。

3人のお昼ご飯としては十分でしょう
会場内はいろんな利権がからみ、高くなっているのだろう。とにかく行ってみたが、お目当ての店はかなり混み合っている。フードコート的な場所なので、他にも店はある。同じような店にしよう、と提案するが、増渕記者が「あそこがいい! あそこじゃなきゃ、イヤ~」と駄々をこね、私と布施記者も「仕方ねーかー」と諦め顔。

 記事でもそうだけど、この記者、変なところで我(が)を通すところがある。結局、この時は一人当たり約2000円でした。あまり大きな声では言えないけど(書いているけど)、ちょっとビールを飲んでこの値段です。確かに、増渕記者が泣きわめくほど、もう一回は来たいところでした。

 午後の部を待って入ると、国番号「1」(米国)から着信あり? 何かな? と思って電話に出るが。聞き取りづらい。その旨を言うと、「メールします」とのこと。しばらくすると、Booking com.(宿舎を予約したサイト)からのメールで、「お泊りになっている(女性陣の)宿舎から連絡があり、外に洗濯物を干すことは禁止されていますので、取り込んでください、とのことです」という内容。

野菜不足を補うため、MPCのフードコートで野菜を購入
増渕記者に聞くと、「干しています。室内だとどうも…」との答え。マイワイフも雨の日以外は必ず外に干すけど、そんなに違うものなのかね~。こんなことで国際電話をかけてくるBooking com.もすごいなあ。1泊いくらの収益があるのか分からないけど、元が取れるのかな? どうでもいいけど。

 井上選手が昨年の世界王者を破る殊勲のあと、この日は比較的早く帰られそうなので、早い時間(といっても9時)に宿舎に向かう。バス・ステーションの仮設路線橋を渡ると、反対側から多くの人がぞろぞろとやってくる。

 え? パークの外に試合会場があったのかな? 当方、視野が狭いので、レスリング会場以外のことはあまり知らない。もっとオリンピックそのものに関心を持つべきかもしれない。

 後で調べたところ、私が右折する場所から大通りを300メートルほど進んだところにバドミントン会場があることが判明。ちょうど終わった時間だったので、ステーションまで長蛇の列だったのでした。したがって、右折するところまでは安心して歩き、そのあとの暗い道は足早に歩きましたが、その関連の駐車場が近くにあることが分かり、そうそう物騒な地でないことを改めて知りました。

2016年8月18日木曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(5)…8月15日(月)

 【8月15日(月)】

鍵が壊れ、外に出られなくなった部屋のドア
朝4時半、トイレに起きる。しかしドアが開かない? はて、内鍵締めたかな? いや、内鍵なんてものは頭にない。何度か引いたり押したりしてもドアが動かない。隣の部屋で寝ていた布施記者が、その音のせいか、起きたみたいなので、「ドアが開かない」と声をかける。

 布施記者、外側からいろいろやってくれるが、動く気配なし。工具が置いてある場所を知っていたので、ドライバーを持ってきて、鍵そのものを外そうとしたが、外すことができない。つまり、私は部屋に監禁されてしまった。

 仕方なく、管理人に電話。初日に電話したので、まだ履歴が残っている。片言の英語で窮状を訴える。最初、「朝8時に行く」というのんびりした答え。「ノー。ナウ・プリーズ。アイ・アム・ロックド・イン・マイ・ルーム。イト・イズ・インポッシブル・フォー・ミー・トゥ・ゴー・アウト・マイルーム」との切羽詰まった声に、やっと理解したようで、「すぐに行く」―。

 来るまで約20分以上、トイレに行くこともできずに、監禁状態。しかし、電話を部屋においておいてよかった。もし、一人で泊まっていて、電話をロビーに置いておいたら、と思うと、ぞっとする。いや、携帯電話のない時代なら、そうしたケースではどうしようもない。一人で泊まる時は、携帯電話は常に体のそばに置いておかないとならない。トイレに行く時、シャワーを使うとき、ドアは絶対に締めないことが大事だ。


朝日がさんさんと輝いていた。のどかな風景です
管理人が来てくれ、ドアをうまく押したら開いてくれ、ホッとした。とりあえず、鍵を全面撤去。「直す。いつがいい?」と聞いてきた。昼間はいないので、「ノー・サンキュー。フォー・ネクスト・ゲスト」と答える。トラウマになってしまうので、ない方がいい。

 完全に目が覚めてしまっていたので、原稿を書き始める。布施記者は開始時間に合わせて会場へ行きたいとのことで、8時頃に一人で会場へ。朝から太陽ががんがん照り付け、冬とは思えない天気。やはり、日本は四季の移り変わりが激しい稀有な国なのかもしれない。

 この日は日本選手の出場はなし。そのため、会場には日本人の姿がほとんどない。午前中は記者の姿もなし。オリンピック3連覇を目指すミハイン・ロペス(キューバ)も出るのに…。これがサッカーとかで優勝候補の国が出るのなら、だれかしらいるだろう。

日本の100円ショップで買ってきた茶碗。底にシールが
貼ってあるのに気がつかづに使ってしまった!
女子で注目を浴びているレスリングだが、レスリングそのものへの注目はまだまだ。今の”ブーム”を、日本選手のブームに終わらせず、競技そのものへの関心に高めなければならない。そうでなければ、吉田、伊調が引退したあと、記者の数は0に近くなるよ。「日本選手が勝てばいい」ではないんですよね。

 ということで、観客席取材をお願いしている布施記者に書いてもらうネタが見つからなうい。会場をぐるっと回っても、とにかく日本人がいない。きょうは休みにしてもらおうか、と思っていたら、向こうから栄和人強化委員長とおぼしき人が、ニコニコ顔で来る。

 ン? 今頃は女子につきっ切りのはずだが…。いやいや、朝日新聞で2005年頃から5年くらいレスリングを担当していた柴田記者だ(このネタ、去年のラスベガス世界選手権でも使ったような…)。リオデジャネイロ・オリンピックにそなえ、3年くらい前から当地にいる。ポルトガル語はペラペラか?

 朝日新聞の規定に、他社からの取材を受けてはならない、というのがあるかどうか聞くと、特にない、という。それでは、と布施記者に取材してもらう。現地にいる人間なればこその情報を聞き出せたみたいだ。よかった。

 夕方のセッションでは、ロペスが3連覇を達成。男子のオリンピック3連覇は4人目ですが、そのうち3人の偉業達成に立ち会うことができました。それがどうした、と言われれば、「オレが見ていたからだ」と答えます! のわけない。「どうもない」と答えます。

雨にたたられたオリンピック(メーンプレスセンター内)
ロペスの会見中、外は大雨。「これはまずい」と思いました。傘は持ってきていません。雨が降れば、タクシーでも乗ればいい、くらいの気持ちで、日本からも持ってきていません。「スコールみないなものだ」という人がいたので、少し待つと、もう晴れていました。パーク内でバスでメーン・プレスセンターへ。すると、そこでまた大雨。必死になって建物まで走りましたが、服はかなり濡れてしまいました。

 そこで、保高カメラマン、増渕記者と雨宿りをかねて仕事。布施記者はちょうど雨が降った時に宿舎に向かったんじゃないかなあ…。心配だ(のわけない。自分がどう帰ろうかで、頭がいっぱいだった^^)。売店に傘は売っていなかったし。

 しかし眠い。そろそろ最初の疲れが襲ってくる時期なのだろう。保高カメラマンもテーブルに伏して寝ている。自分もひと寝入り。起きて最低限度の仕事をすると、雨があがっていた。途中で降られたら、その時はその時だと思って出発。しかし、雨は降らず。

 この日はトランシーバーで布施記者を呼び出し、裏口に来てもらって鍵を開けてもらった。布施記者は見事に雨に襲われたけど、傘を売っている人がいたので、買ったそうです。商魂がすごい!

 布施記者が裏口まで迎え来てくれ、その周辺の写真をフェイスブックに載せたら、「大丈夫?」などと、反響がすごかったとか。

2016年8月16日火曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(4)…8月14日(日)

 【8月14日(日)】

朝食。男2人の朝食はこんなものでしょう
、ネットで各種記事のチェック。下記のような記事が目に入ってくる。

 「ロンドン大会の2倍に当たる約8万5000人を投入した治安対策は大きな課題だ。観戦客を狙った強盗やスリの被害は絶えず、開幕からわずか1週間で日本人が巻き込まれた事件は少なくとも9件あった。選手村で従業員が窃盗を働いたり、観光地で外国の閣僚が強盗に襲われたりと、国籍を問わず犯罪の被害に遭っている」

 リオのファベーラでは、「オリンピック開催の前月に756件の銃撃事件と、50人の犠牲者がいた」という記事もあった。昨夜、夜道を歩いて帰ってきたことを思い出した。あらためてリオデジャネイロの怖さを感じた。しかし、徒歩以外の移動手段がないので仕方ない。こんなにタクシーが拾えない地だとは思わなかった。
仮設の歩道橋とそこから見える
オリンピックパーク
とりあえず、朝は大丈夫だろうと思い、布施記者と徒歩で会場へ。健康的と言えば、健康的。パークまで片道20分以上、レスリング会場までとなると往復で間違いなく1時間近くは歩く。こんなに歩くオリンピックは初めてだ。

 会場へ入ると、ビル・メイさんのほか、USAレスリング協会のアボット記者など、知った顔に次々と遭遇。世界大会だなあ、という気持ちにさせられる。」

 7月末に現地入りした共同通信の森本記者からは、柔道の取材を通じて「冷房がききすぎているから、長袖が絶対に必要だよ」などとアドバイスを受けたが、確かに寒い。しかし、長袖が必要というほどでもない。省エネへの姿勢に変わったか。いいことです。去年のラスベガスでの世界選手権は、本当に寒すぎでした。

 私は「記者」のIDカードなので、マットサイドでの撮影はできません。でも、試合の時は1階の観客席に入って、200mmの望遠レンズで撮影。しかし、途中で「ユーは、ここはダメだ」とクレーム。カメラマンのジャケットを着ている人でなけれな、観客席では撮影できないのだという。予想されていたが…。

 記者席から撮る分にはいいらしい。ま、仕方ないか。保高カメラマンがマットサイドで撮っていて、こちらの撮影はその補助的なものであり、自分自身の写真の保存のためだから、スタッフとけんかしても仕方ない。昔の私なら、「なんで、撮っちゃダメなんだ! 観客が撮影しているのはOKで、なんで記者はダメなんだ」と、くってかかり…ませんでしたよ。
オリンピックパーク内
「すぐブチ切れる」「1大会で最低1回は係員とけんかする」とも言われていますが、根も葉もないデマ、誇大表現ですからね。きまりは守りましょう!

 試合は太田選手が初戦で前回のオリンピック王者を破り、順調に勝ち進みました。恩師の勝村さんの取材が必要と思って、日の丸が振られている場所を中心に探しましたが、いません。某テレビ局の女史(古い表現! もしかしたら差別用語かな?)が「飛行機が遅れたみたいです」と教えてくれた。

 あとで分かったことだが、前日にリオデジャネイロ入りする予定が、エンジントラブルで1日遅れたとか。不運! 2013年の世界選手権(ハンガリー)でも、吉田さん一家の飛行機が天候か何かの都合でスケジュール通りに飛ばず、ヘルシンキで1泊。試合当日の朝、あわただしくブダペスト入りしたことがありました。
 その時は1回戦から見られましたが、今回は午前セッションを見ることができませんでした。でも、太田選手が決勝に進み、しっかり応援してもらうことができました。それにしても、人生、いろんなことがありますね。

メーンプレスセンターでの食事。重量で決まり、約1500円
午前と夕方のセッションの合間に、増渕記者とともにメーンプレスセンター内にあるフードコートへ。バイキング形式、皆さん、いろんな食べ物をピックアップしてレジへ行きます。しかし、値段が書いてありません。

 貧乏人の性(さが)でしょうか、まず値段を確認したいんですよね。ここは、100万円を超えるツアーに参加する富豪相手ではなく、所詮、記者相手だから、ばか高いとかはないでしょうが…。

 増渕記者が調べてくれましたところ、種類にかかわらず、重さで値段が決まるのだそうです。同じ梨紗子いっぱいでも…、じゃなかった、サラいっぱいでも、葉っぱの野菜だけなら安いでしょうし、肉ばかりだと高いのでしょう。こういう値段設定もあるんだ。日本なら「1500円で取り放題」とかなんでしょうけど。

 私は当地での野菜不足を補うため、野菜を多めにとって約1500円。増渕記者は普通にとって、約3000円。「昼食で3000円かかってしまいました!」と悲鳴をあげていた。最初は、手探り状態で選ぶものなんだよ!

 夕方のセッションの前、勝村さんに電話。出てこられなかったが、すぐに電話があり、「今、ゲートに入りました。あと5分で着きます」とのこと。日本の携帯電話への国際通話代、すみませんでした。

 太田選手は残念ながら銀メダルでしたが、日本男子のメダル獲得の伝統は、初日にして守ることができました。しかし、1階級ごとに表彰式をやるようで、その準備のため、時間がけっこう空いてしまう。ある階級をやって、次の階級をやっている間に準備、その後に表彰式というのが普通と思っていたけど。
こんな道を夜10時、一人で帰りました!
観客席で取材の布施記者、「先に帰ります」と、早い時間に一人で宿舎に戻りました。私は最低限度の記事をアップしてからになるので、10時とかになります。この時間に1人であの山道(といっても、舗装された2車線道路で、歩道もあります。所々に街灯もあります)を歩くのか、とちょっぴり不安。

 しかも、布施記者が宿舎そのものへの鍵を持っているので、裏口から入ることはできず、ぐるっと遠回りして守衛さんのいる表玄関に回らないとなりません。15分は違います。でも、徒歩で帰るしかありません。

 布施情報によると、オリンピックパーク付近に入れるタクシーは、上タクシーに限られているので、台数が極端に少なくなっているとか。確かに、物騒な、運転手が物取りになるようなタクシーに当たってしまっては困るけど、それにしても大変です。

 でも、30分以上歩き、何とかゴールイン。明日からは、会場で使っているトランシーバーか、電話で連絡を取り、布施記者に裏口まで来てもらうことにしました。とにかくレスリング初日が終了しました。

2016年8月15日月曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(3)…8月13日(土)

 【8月13日(土)】
宿舎周辺の風景
時差ぼけのせいか、夜2時に寝たにもかかわらず、4時半頃に起きてしまい、そのあと寝られない。6時に起きてパソコンへ向かう。別部屋の布施記者が7時にトイレに起きて、「早いですねえ」と言ったあと、「私は、もう少し寝ます」と部屋へ戻る。寝られることがうらやましい。

 朝食は家から持ってきた非常食。実は、2011年3月の東日本大震災のあと、万が一に備えて非常食を買っておいたのですが、5年たって、軒並み期限切れ。せっかくだから食べた方がいいだろうと思い、持ってきたのです。5年間、使うことがなかったわけですが、使うことがないに限ります。

 8時に布施記者が本格的に起床。布施記者もパソコンを開きます。悲しき宿命。それでも9時になって買い出しへ行くことにしました。街を歩くこともNGと言われていますが、朝からそうそう犯罪もないでしょう。事実、女の人が一人で歩いています。

宿舎の窓から見えたオリンピックパーク。8階にもかかわらず、
ネットがあるのは、鳥対策? それとも強盗対策?
5分くらいのところに、コンビニよりやや大きめのストアあり。そこで買い物。しかし、別の方角にもっと大きなスーパーあり。こちらの方が安い! ま、知らない土地ではこんなこともあるだろう。ビールを大量に買い込む。

 11時に保高・増渕組の宿舎へ向かう。流しのタクシーも、ぼったくりがあるとの情報だったが、それ以外に方法がないから、とりあえタクシー。運よくすぐに来てくれる。メーターがあるので、ぼったくりはないか。21ブラジルレアル。700円くらい。こんなもんだろう。

 2人と合流したあと、歩いてオリンピックパークへ。約10分でパークへ。ここまでくれば、恐喝もないだろう。メーンプレスセンターへ行き、パーク内のバスの確認や無線Wi-Fiの申請などいろんな手続き。Wi-Fiが無事開通し、記者室でメールのチェックなど。

 午後1時ころ、明日行われる階級の計量時間を確認したら、何と午後1時15分から! ガーン! こんな早い時間に計量があるなんて想定外。増渕記者も保高カメラマンもこんな時間とは思っていなかった。しっかり確認しなかった自分たちのミスだけど、レスリング界にどっぷり浸かっているがゆえのミスですね(言い訳!)。

オリンピックパーク。ここなら恐喝団はいそうにもない。
でも、オリンピックは計量会場に入れないのが普通だし(事実、共同・森本記者の話によると入れなかったという)、昔と違って組み合わせがネットにすぐにアップされるから、「ま、いいよ。場所もはっきり分からないところに、あと15分じゃ行けないよ」と取材を断念。UWWのホームページにアップされるのを待つ。

 2時すぎに組み合わせがアップ。「JPN、、、、スーリヤンだ!」との私の声に、保高カメラマン、増渕記者とも絶句! 「なんで~」と悲鳴があがった。隣のブロックには、世界3位のカザフスタンとロシア。すごいブロックだけど、ロンドンの時の米満だって、こんな感じだった。「大丈夫だ!」と言い聞かせる。

 翌日の情報記事をアップしたあと、UWWメディア担当のビル・メイさんとフェイスブックの電話で会話。あまりうまくつながらないので、チャット。以前なら国際電話、しかもブラジル~日本~チェコ~ブラジルと電話回線がとんだわけだけで、通話料も高くなったけど、フェイスブックらラインならタダ。

でも、フェイスブックやラインの会社って、何でもうけているのかな? 布施記者に聞いたら、「スタンプの販売」だと教えてくれた。「あんなもの、お金払うの? タダで使っているよ」と聞いたら、「有料のもあるんです」とのこと。そっかー! タダで導入して、そこから売るわけね。


柔道会場からレスリング会場に改造中
信じられないような格安ツアーの場合、客を必ずお土産店に連れて行くけど、そこで物を買わせてバックを受け取ることで儲ける、と聞いたことあり。航空会社のマイルも、タダにしてお客さんを集め、空港で何かを買わせる…。でも、これで利益が出るのかな?
 話を元に戻すと、メイさんは夜はあいているとのことで、食事をする約束。「オリンピックパークの入り口で7時」に待ち合わせ。それまでの間、レスリング会場を視察。間もなく東京オリンピックの組織委員会に出向される藤森安一広報委員長と遭遇。オリンピックの視察で、こちらに来ています。

 泊まっているところが、悪名高いファベーラ。組織委員会から送迎の車が出ているとばかり思ったら、「そんなわけないだろ。電車とバス(BRT)を乗り継いで1時間以上かけて来るんだよ」とのこと。大名旅行するのは、舛添だけでああって、末端の人間は宿舎も移動手段も庶民並みなわけですね。小池百合子新知事の方針にぴったり合っていますね^^

 でも、ファベーラは気をつけてほしいな。体重100kg以上、プロレス団体からスカウトされたこともある藤森広報委員長を素手で襲う輩はいないと思うが、武器を持った数人が相手では分が悪いだろう。

メイさん紹介のステーキ、おいしかった
で、メイさんとはなかなか遭遇できず。単に「オリンピックパークの入り口」と言っても、入口と出口が離れているし、キップ売り場がその中間。外国人のメイさんに、「入口」と言っても、要するに門のところと思って当然。私たちは入場ゲートにいましたが、メイさんは退場ゲートにいたのです。「Entrance」と言った方がよかったか。

 とりあえず合流し、メイさんの紹介でステーキハウスへ。UWWホームページ記者のティムさんとも遭遇。5月に日本に来て、吉田沙保里と伊調馨、その周辺を徹底取材して、動画とともにホームページにアップ。メイさんによると、けっこう評判がいいとか。私もちょっぴりですが、出ています。どうでもいいけど。

 食事が終わって、帰ろうとするけど、タクシーがつかまらない! 待っても、待っても、流しタクシーは来ない。ちょっぴり心細くなった。保高カメラマン、増渕記者は途中のスーパーで買い物をするとかで、スーパーの前で別れる。無事帰れよ、なんて思う余裕はなし。自分たちが帰られるかどうか、心配だった。

タクシーがなく、夜道を歩く羽目に。このちょっと先から山道に
入っていく!
布施記者とメーンプレスセンターそばのマリオットホテルまで歩く。ここにはタクシーがたむろしているという話を聞いていた。約1・5km歩いてホテルへ。しかしタクシー街の列ができていた、その数、10数人。次々と来てくれればいいけど、なかなか来ない。30分経っても、4人くらいしか進まない。

 布施記者と意を決し、暗い林に囲まれた夜道を歩いて帰ることを決意。危険でよくないことは十分に承知しているが、ここであと2時間もタクシーを待つことはできない。行ってみると、けっこう一人歩き、家族連れなどがいて、大会関係の駐車場入り口にはボランティア役員もいる。

 襲われることはなさそうだと思いながら、20~25分をかけて宿舎に到着。助かった! できれば歩きたくはないけど、ここまでタクシーがないのなら仕方ない。自分の運を信じ、明日からも徒歩通勤になることを覚悟した。

 あとで分かったことだが、保高・増渕も、私達よりは近くて明るい道だけど、徒歩で帰ったそうです。スーパーで大量に買い物をして、「手がちぎれそうでした」だって。ご苦労さん。明日からも気をつけてね。

2016年8月14日日曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(2)…8月12日(金)

 【8月12日(金)】
7時頃になると込み合ってきたアブダビ空港のフードコート
出発前の激務(「貧乏、暇なし」なんです)もあり、食事が出てくる前にウトウト。食べたあと、本格的に寝て、約12時間後にアブダビへ到着。現地時間で午前4時。24時間空港なんでしょうが、空港は空いていました。

 布施記者がエティハド航空のプレミアムカードを持っていたので(なんで? この航空会社をそんなに使っているの?)、同航空会社のラウンジへ行ってみました。布施記者はもちろんタダ。同行者が2時間で約30ドル。オリンピックはただでさえ金を使うので、できるだけ控えようとなって、私達3人はやめて、コーヒーショップへ行きました。

 布施記者のみが、フリードリングの豪華な部屋でトランジットをすごしました(私はデルタ航空の同様のカードを持っています、、、、←自慢!)。

 トランジットの時間は約4時間。執筆や朝食ですごします。最初のうちはスムーズだった空港の無線LANは、人が増えるにしたがって動きが鈍くなります。最近は、パソコンは持っていなくても、スマホで無線LANを使う人が多いですからね。

アブダビ空港
サンパウロ行きの約1時間ちょっと前に39番ゲートへ。まだ時間があると思い、電源のあるコーヒーショップで少し作業。外国用のプラグをスーツケースに入れてしまったことに気がつき、保高カメラマンに借りてパソコンの充電。すると、もう39番出口で人が動いています。

 前のフライトだろうと思って確認に行くと、サンパウロ行きです。まだ50分もあるのに、と思いましたが、飛行機までバスで行くみたいですから、こんなものかな。コーヒーがもったいないし、長蛇の列なので、「この列がすくまで、ここにいよう」と、のんびり構えました。

 増渕記者のメールに、布施記者から「もう搭乗、始まったよ」という焦ったメール。気がつくと、私の電話にも布施記者から4回も着信あり。気がつかなかった。ゴメン。で、増渕記者に「そのへんにいるよ。探してきなよ」と捜査依頼。すぐに戻ってきて、「先に乗っているそうです」とのこと。

鄭智鉉と増渕記者
8時10分すぎ、列がすいたのを見計らってゲートへ。25分前でも「ファイナルコール」という声が聞こえた。バスへ乗って増渕記者を見ると、日本人ではなさそうだが、東洋の若い男と話している。どちらが先に話しかけたのか分からんが、若い男とはすぐに話し始めるのが、この子の特徴だ。

 あとで分かったことだが、2004年アテネ・オリンピックの男子グレコローマン60kg級王者の鄭智鉉(ジュン・ジヒュン=韓国)だった。一方的だけど試合会場では何度も見ていたし、2013年12月に来日した時は取材までしていたのだけど、ヘアスタイルが変わり、やや茶髪にしていたので、言われるまでまったく気がつかなかった。

 男も女も、髪型によって雰囲気がまったく違ってくるんだな。そういえば、今回の保高カメラマンもヘアスタイルを変えていたので、成田空港でも遠くにいた時は気がつかなかった。では、私もヘアスタイルを変えて、イメージチェンジしてみようか…。ま、それをやってくれる理髪店は世界のどこを探してもないだろうが!

増渕記者撮影の私の後頭部。薄くなりましたね~!!!
サンパウロまでの飛行機はけっこう空いていて、窓側の3席で私だけ。他の3人も、いずれも隣に人がいない。私の後ろの席が増渕記者。「まぶしい!」というつぶやきが聞こえたので、上下に動くヘッド何とかを最高に上まで上げる。「そんなことしなくてもいいですよ」とゲラゲラ。だったら、変なことつぶやくな!

 私は時に3席すべてをつかって横になり、グーグーと寝ました。今度は13時間。アフリカのサハラ砂漠を東から南にかけて通過し、大西洋をわたってサンパウロに到着します。

 アブダビまではけっこう寝ていましたが、ここはあまり長い時間寝られず、起きている時間の方が長かったので、長く感じました。でも、3席をつぶして横になれたのは疲労軽減になったと思います。

 そしてサンパウロ。ここからは国内線なので、荷物を持って国内線へ移動です。オリンピックゲートが用意されており、オリンピックのIDを持っている人は別の窓口で通関手続きができるのです。すいていたから、あまり変わらなかったけど。

記者の悲しき習性! ちょっと時間があると、すぐにパソコンを開く 
ここでも4時間以上の乗り継ぎ。いろんな手続きや国内線までの移動があったので、実際は3時間を切っていました。でも、パソコンを開くという記者の悲しき宿命! 

 ホームページにアップしないとならない記事が未完成なのです。飛行機の中でもぱそこんを打ちました。インターネットがない時代の移動、そして現地での仕事の方がずっと楽でしたね。

 小さな飛行機に約1時間揺られ、うとうとしたと思ったらリオデジャネイロ。国内線だからでしょうか、「ここが、リオデジャネイロ?」と思えるようなローカルのたたずまい。しかし、計34時間(フライト12時間、トランジット4時間、フライト13時間、トランジット4時間、フライト1時間)の疲れもあり、早く本格的に横になりたい。

 チャーターしてあったワゴン車で宿舎へ。途中、リオの名物ファベーラ(スラム街)とおぼしき地区の灯りが見える。ここに入ったら、身ぐるみはがされることも覚悟、という地域。中には信号待ちの車を襲う、という話も聞いたが、そんなこともなく、深夜1時ころ、宿舎(自炊式アパートメント)に到着。

 東京の家を出てから43時間! 人生で最長の長旅でしたが、仕事はここから始まります。(続く)

夜のサンパウロ空港

日本の地方都市の空港より古い(由緒ある)


リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(1)…8月11日(木)

 何人もの人に「気をつけて」「無事に帰ってきて」と言われたことでしょうか。治安の悪さは世界有数と言われるリオデジャネイロでオリンピックの取材です。


 オリンピックの期間中は、国が威信にかけて安全を守る、と言われる一方、安心は絶対ダメ、という声も。世界有数の平和な国、日本で生活している人にとっては、後者が正しいと思います。


 「金や物を取られても、命だけは取られない」を心にいれて、決戦の地へ向かいました。

 【8月11日(木)】


エティハド航空という初めて乗る航空会社の飛行機で、
30時間を超える移動に臨みました
リオデジャネイロ・オリンピックも中盤にさしかかるこの日の夜、アラブ首長国連邦(UAE)の航空会社エティハド航空でリオデジャネイロへ向かいます。ブラジルまでは、米国回り、欧州回り、中東回りと、いろんなパターンがありますが、なぜ、この聞きなれない航空会社を選んだかといえば、、、、、、もちろん安さです^^

 1月に申し込んで、確か20万円ちょっとくらい。その段階で、日本航空とかは軒並み25万円を超えていました。安いだけあって、アブダビとサンパウロの2ヶ所で乗り換えますが、安さを優先し、ここに決めました。その後、参考までにいろんな航空会社の値段を見ていましたが、ここまで安いのはなかったです。

 春頃には25万円というのもなかったような気がします。やはり、地球の裏側(「地球の裏側」と書くべきか、「日本の裏側」と書くべきか…、。ブラジルの人から見たら、「裏側」とは何だ、と思うでしょうし。結局、何と書くのが最適なのか、結論は出せませんでした)へ行くのは、お金がかかります。去年の世界選手権でラスベガスへ行った時は、9月でしたが12万円でしたね。

 午後6時45分、成田空港の第1ターミナルに到着。ここに来ると必ず行くラーメン店に行って夕食。そのあと、エティハド航空のカウンターへ。今回はいつもよりスーツケースが重いと思っていたけど、同行の増渕由気子記者と保高幸子カメラマンの荷物の多さと重さにびっくり。ぎっしり詰め込んでいます。


レスリング協会のスポンサー、西川産業制のクッション
を使ってみたが、私にはちょっと小さすぎて、窮屈だった
(個人の感想です)
女性は化粧品とかその関係があるから重いのかな? 増渕記者は数日前、宿舎にドライヤーがあるかどうか気にしていて、「自分でメールしろ」と伝えたら、本当にメールしました。「ドライヤーなんて、なけりゃないで、自然乾燥でいいだろ」と言うと、「出かけるまでに乾かなかったら、ダメなんです」だって。

 濡れたままの髪の毛で人前に出るのはNGらしい。電車内で平気で化粧する女性に比べると、まだ昭和女性のたしなみを持っているということか。続けて、「樋口さんは関係ないでしょうけどね」とゲラゲラ!

 保高カメラマンといい、私の髪のことは格好の話題材料みたいです。ま、私は十年以上前(数十年前?)からドライヤーなんて使ったことないのは事実です。事実だから怒りませんが、人によっては、事実であっても髪の毛の話題はタブーですからね!

 荷物は、同行のフリーランスの布施鋼治記者が16kgで、私が24kg。でも、保高カメラマンが知り合いに持って行くウイスキー2本を預かったので、本来は20kgくらいでしょう。保高カメラマンが26kg、増渕記者が28kgでした(32kgまで無料)。

 さて出発。UAEの航空会社なので、ドバイ経由だとばかり思っていたら、アブダビ経由でした。でも、ドバイとアブダビの区別がつかないのです。保高カメラマンが調べてくれたら(つまり、保高カメラマンも知らないのです)、アブダビが首都で、ドバイがUAE最大の都市なんだそうです。ドバイが首都だとばかり思っていた!(続く)