2015年11月18日水曜日

全日本大学レスリング選手権が終わりました


 全日本大学レスリング選手権が終わりました。協会ホームページに書いた筆者の「団体は山梨学院大が本命」という展望記事、とりあえず当たりました(無署名の記事ですけど、、、内部の人はだれが書いたか、ほとんど分かっていますので隠しません)。
 
 この展望記事、選手や監督、コーチにけっこう読まれているみたいで、カチンと来たりしてくるみたいです。今回は山梨学院大の小幡コーチから「来年から『すごい』って書かないでください。みんな緊張しちゃうんです」と困った顔で言われました(私は「このくらいのプレッシャーで勝てない選手なら、世界はおろか、全日本も取れないよ」と返しましたけど)。

日大は、自分たちへの期待が少ないことで、富山監督から「悔しくないのか!」とのゲキが飛んだらしいです。富山監督といえば、いつだったかのリーグ戦で、日大の展望記事はなく、前年日大より順位の低かった中大を「期待」として取り上げたところ、日大の選手が憤慨。それに対し、「その程度の評価なんだ! 悔しかったら、勝て!」と言ってくれたという話も伝わっています。富山監督のこうした男気、大好きです^^

今回は他にも、ホームページのY・M記者はかなりの反響を耳にしたみたいです。

Y・M記者といえば、東京国体で展望に名前が載っていない選手が優勝し、取材に行ったら、周囲がニヤニヤしながら「(展望に名前を載せないところなんだから)取材拒否した方がいいんじゃない?」と言ってきたそうで(顔見知りの選手達による冗談と分かるようなムードですよ。文章にすると殺伐と感じるかもしれませんが)、私のとばっちりを受けたこともあるのです。

 うれしいですね。読んでもらっているんですから。展望でカチンと来て奮起し、それで優勝したというケースもあるみたいです。思い出すのは21年前の全日本学生選手権、新日本プロレスへ行って不慮の事故で亡くなりましたが、専大の権瓶広光選手のことです。

 権瓶君は私と同じ新潟県出身。エスポアール時代にはけっこう成績を残していて、同郷の選手として面識があり、期待もしていました。しかし、2年、3年と進むうちに、ちょっと伸びなかったです。最初からプロレス志望の彼は、もうプロレス流の練習をやっている、といううわさも聞きました。

  1994年の全日本学生選手権は、私たちの郷土、新潟での開催でした。この大会の展望記事に、なんと権瓶君の名前は載っていないのです。奈良出身の吉田幸司選手の圧勝優勝を予想していたのだと思います。

  大会前に彼に会った時は、「こんにちは」とにっこりあいさつしてきました。展望に名前を載せていなかったことなどすっかり忘れ(覚えていず)、「相変わらず礼儀正しいヤツだ。来年からプロレスだね」と思っていました。

  ところが、彼は決勝で吉田選手を破り、見事に故郷に錦を飾ったのです。優勝直後から涙が止まりません。やっと話せるようになった時、ずばり言われました。「樋口さんの前だから、あえて言います。展望に名前が載っていなくて悔しかった。絶対に見返してやろうと思っていました」-。

   ここまでズバリ言われたことは、前にも後にも、この時だけです(いや、ロンドン・オリンピックのアジア予選で、長谷川恒平選手から前年の世界選手権の記事を引き合いに、「グレコローマンの選手は、あの記事を書いた記者(私のこと)を見返してやろうって、みんな思っていました」と言われました。ただ、“ジャパニーズ・スマイル”つきでしたけど)。権瓶選手、大会前に愛想よくあいさつしてきた時も、内心はこの気持ちでいっぱいだったのでしょうね。

  ひと通りの取材が終わったあと、「失礼な記事を書いて申し訳なかった」と謝りました。すると、「とんでもありません。おかげで優勝できました。ありがとうございました」と、深々と頭を下げられました。

  選手にとって、記事というのはモチベーションなんですね。私が最も尊敬する吹田市民教室の押立吉男代表(故人)が「活字のパワーは、指導者の言葉より強い時がある」として、私を支援してくれていました。手前みそじゃなく、これは当たっているのではないでしょうか。

  期待の記事を書かれれば、プレッシャーを感じながらもモチベーションは上がるでしょう。期待されずにカチンと来たなら、「見返してやる」という気持ちが奮起につながります。

 これからも選手と“勝負”していきます。選手は、試合前に口で闘うのではなく、結果を出してから、言ってきてください。待ってます!

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