2017年8月19日土曜日

北京~ウランバートル 国際列車27時間の旅(5)完


(4)から続く

モンゴル入国直後は草木のない風景が続いた
モンゴルへ入って(ほぼ寝ている状態でしたが…)、しばらくすると窓から強烈な太陽。もう朝か、と思って時計を見ると、午前5時前。こんな時間から、太陽がさんさんと輝いている。ブラインドとカーテンを閉めて、もうひと寝入り。

 7時すぎになると、妻と子供が起き、私も起きます。車窓からは、草木のない平原が広がります。モンゴルに入った直後は砂漠に近い大地です。顔を洗い、通路から外の景色を見ていると、コックらしき人が「モンゴリアン・レストラン、オープン」と言いながらやってきます。混み合う前に行こうと思い、3人で向かいます。

 ところが、昨日あった車両に食堂車がありません! え、と思い、ずっと進むと、最後尾らしきところ(実際は1つ前。最後尾は荷物車)にやっとありました。二連での車輪付け替えの時、食堂車が切り離され、新しい食堂車と荷物車が最後尾につけられたのでしょう。

食堂車は中国とモンゴルで変わります。
左の写真がモンゴル風の車内です。メニューはなく、ブレックファーストしかありません。3人分を注文。パンとおかず、チーズ、コーヒーという洋式風な朝食。味は、まずくはありませんでしたが…。

 会計となって、びっくり。1人100元(約1800円)! 昨日の夕食は3人で79元(約1422円)ですよ! メニューで見た朝食の値段は10元ですからね。ぼったくりだ! でも、食べてしまったから仕方ない。もう中国のお札は60元くらいしかない。絶対に足りると思っていた。中国の食堂車の朝食メニューは10元ですよ。

 「クレジットカード?」と聞いたら、「ノー」との答え。困った! そこで「USドル?」と聞いたら、OK。45ドルとのこと。辛うじて、それだけのUSドルは持っていたので、部屋まで取りに行きました。

モンゴルは非電化。ディーゼル機関車2台が牽引
していました
もし、USドルを持っていなかったら・・・・。日本円ならもっと持っていたけど、日本円で通じたかどうか。こういうところに来る場合は、USドルの現金を100ドルくらい、細かな札で持っていた方が安心ですね。ま、朝食だから安いだろう、なんて思いこまず、金額を聞いてから注文するべきなのは言うまでもありませんが。

 モンゴルではカーブが多くなり(中国でもカーブはたくさんあっただろうが・・・)、先頭の機関車が見えます。北京を出る時は電気機関車でしたが、今はディーゼル機関車の重連。進めば進むほど、草木が増えてきます。人生と逆ですね(意味、分かるかな? 私の頭は。年をとるほどに地肌が見えてきているのです)。

線路そばには有刺鉄線が続いていました
ところどころにゲルが見えます。モンゴルでは、まだ遊牧で生計をたてている人が多いようです。線路に沿って有刺鉄線が絶え間なく張られています。そんな必要あるの? そんなに子供が多いの? と思いましたが、あとで分かったことですが、野生の動物の線路進入を防ぐためなんだそうです。たぬきが線路に寝ていたら、困りますからね。

 途中の駅で貨物列車とすれ違い。長い! どのくらいあるのか。16両編成の東海道新幹線より長いことは間違いないと思います。日本では車や船という交通手段があって、有効でしょうが、このあたりは鉄道が貴重な輸送手段。大量の貨物を一気に運ぶ必要があるのでしょう。

ウランバートル前最後の停車駅
午後3時すぎ。ウランバートル前の最後の停車駅に到着。時刻表を見ると、1時間遅れているみたいです。車掌に「降りていいか?」と聞くと、「ファイブ・ミニッツ(5分)」との答え。降りてみると、食べ物を売る人が来て、商売しています。

 ここでカップラーメンとか売っていたので、食堂車で食べなかった人は、ここで朝食を買うのもいいですね。カップラーメンで100元はしないでしょう。お湯は、車内ですごく熱いお湯が出る給湯器があります。

 車窓は次第に近代的な風景に変わり、1時間遅れてウランバートルの到着。28時間の旅が終わりました。ホームの先頭へ行ってディーゼル機関車をねぎらい、旅を終えました。ご愛読、ありがとうございました。

都心でも見られたゲル。土地を買っても、家を建てる
お金が貯まるまでゲルで暮らす人もいるのです(伝統
住居が好きで、あえてゲルのままの場合もあり)

モンゴルに入ってからお世話になったディーゼル機関車
終点の到着した列車。モスクワまで行く便も
あります
ホームから見たウランバートル駅

モンゴルではゲルのあるキャンプ場にも泊まりました

ウランバートルからは飛行機で成田へ。横綱白鵬と
同じフライトでした


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