2016年8月14日日曜日

リオデジャネイロ・オリンピック取材日記(1)…8月11日(木)

 何人もの人に「気をつけて」「無事に帰ってきて」と言われたことでしょうか。治安の悪さは世界有数と言われるリオデジャネイロでオリンピックの取材です。


 オリンピックの期間中は、国が威信にかけて安全を守る、と言われる一方、安心は絶対ダメ、という声も。世界有数の平和な国、日本で生活している人にとっては、後者が正しいと思います。


 「金や物を取られても、命だけは取られない」を心にいれて、決戦の地へ向かいました。

 【8月11日(木)】


エティハド航空という初めて乗る航空会社の飛行機で、
30時間を超える移動に臨みました
リオデジャネイロ・オリンピックも中盤にさしかかるこの日の夜、アラブ首長国連邦(UAE)の航空会社エティハド航空でリオデジャネイロへ向かいます。ブラジルまでは、米国回り、欧州回り、中東回りと、いろんなパターンがありますが、なぜ、この聞きなれない航空会社を選んだかといえば、、、、、、もちろん安さです^^

 1月に申し込んで、確か20万円ちょっとくらい。その段階で、日本航空とかは軒並み25万円を超えていました。安いだけあって、アブダビとサンパウロの2ヶ所で乗り換えますが、安さを優先し、ここに決めました。その後、参考までにいろんな航空会社の値段を見ていましたが、ここまで安いのはなかったです。

 春頃には25万円というのもなかったような気がします。やはり、地球の裏側(「地球の裏側」と書くべきか、「日本の裏側」と書くべきか…、。ブラジルの人から見たら、「裏側」とは何だ、と思うでしょうし。結局、何と書くのが最適なのか、結論は出せませんでした)へ行くのは、お金がかかります。去年の世界選手権でラスベガスへ行った時は、9月でしたが12万円でしたね。

 午後6時45分、成田空港の第1ターミナルに到着。ここに来ると必ず行くラーメン店に行って夕食。そのあと、エティハド航空のカウンターへ。今回はいつもよりスーツケースが重いと思っていたけど、同行の増渕由気子記者と保高幸子カメラマンの荷物の多さと重さにびっくり。ぎっしり詰め込んでいます。


レスリング協会のスポンサー、西川産業制のクッション
を使ってみたが、私にはちょっと小さすぎて、窮屈だった
(個人の感想です)
女性は化粧品とかその関係があるから重いのかな? 増渕記者は数日前、宿舎にドライヤーがあるかどうか気にしていて、「自分でメールしろ」と伝えたら、本当にメールしました。「ドライヤーなんて、なけりゃないで、自然乾燥でいいだろ」と言うと、「出かけるまでに乾かなかったら、ダメなんです」だって。

 濡れたままの髪の毛で人前に出るのはNGらしい。電車内で平気で化粧する女性に比べると、まだ昭和女性のたしなみを持っているということか。続けて、「樋口さんは関係ないでしょうけどね」とゲラゲラ!

 保高カメラマンといい、私の髪のことは格好の話題材料みたいです。ま、私は十年以上前(数十年前?)からドライヤーなんて使ったことないのは事実です。事実だから怒りませんが、人によっては、事実であっても髪の毛の話題はタブーですからね!

 荷物は、同行のフリーランスの布施鋼治記者が16kgで、私が24kg。でも、保高カメラマンが知り合いに持って行くウイスキー2本を預かったので、本来は20kgくらいでしょう。保高カメラマンが26kg、増渕記者が28kgでした(32kgまで無料)。

 さて出発。UAEの航空会社なので、ドバイ経由だとばかり思っていたら、アブダビ経由でした。でも、ドバイとアブダビの区別がつかないのです。保高カメラマンが調べてくれたら(つまり、保高カメラマンも知らないのです)、アブダビが首都で、ドバイがUAE最大の都市なんだそうです。ドバイが首都だとばかり思っていた!(続く)

2016年5月19日木曜日

猪木-アリ戦のあった6月26日が「世界格闘技の日」へ

 1976年6月26日-。この日を示されて、すぐに答えが出てくる人は、もう少なくなったでしょうね。わが心の師、アントニオ猪木がムハマド・アリと闘った日。あれから40年を記念し、6月26日が「世界格闘技の日」と制定されました(日本記念日協会という、初めて聞く社団法人の制定ですが。取材に行ってきました)。

 頂上決戦をうたいながら引き分けに終わったことと、見せ場のない展開に終始したことで、世間からは酷評されました。でも、当時、新潟に住んでいた私は、新潟県レスリング協会の渡辺和義・理事長(明大卒=1956年学生王者)が新潟日報に「真剣だったアリ、猪木」と題した投稿をしていたことを、しっかり覚えています。

「世界格闘技の日」制定会見でのアントニオ猪木
 「最初はショーでやるものと思っていたが、あの動きは真剣勝負そのもの」との内容。格闘技のプロをうならせる内容だったことに救われた気持ちになりました。

■発端は日本レスリング協会の八田一朗会長

 この試合の実現は、レスリング協会の八田一朗会長がからんでいるんですよ。アリと親交のあった八田会長が、米国へ行った時にアリが「東洋の格闘家の挑戦を受ける。空手でもだれでも」とか何とか言って、それを帰国して話したら、どこかの新聞にそのコメントが載ったんですね。それを読んだ猪木が、「だったら、やってやろうじゃないか」となったわけです。

八田会長とアリがどうして親交があったかは分かりませんが、アリが来日した時、レスリングの全日本チームの合宿に来ているんですよ。日体大の藤本英男・前部長が現役の頃で、アリをタックルで抱えている写真、当時の機関誌に載っています。

 しかし、実現には1000万ドル(当時で約31億円)かかるので、いったんはあきらめたそうです。でも支援してくれる人が何人か出てきて、夢を追う男、猪木は損得勘定なしで実現へ動きだしたわけです(実現への経緯を書くと長くなるので、やめます)。

 話はそれますが、私が超安定企業をやめたのは、こうした猪木の行動に感化されているんです。ま、私のことはだれも興味ないでしょうけど。

スライディングしながらのキックに活路を見出した猪木
話を元に戻して6月26日の試合。今回、猪木を取材するにあたり、最近やっとDVD化された15ラウンドを見返してみました。1976年は、まだ我が家にビデオなるものがなかったのです。普通の家庭はない時代で、我が家に来たのは翌年夏でした。これも、かなり時代の先取りでした。一般化したのは1980年代の中盤くらいです。

 数年後、月刊のプロレス雑誌の「売ります・買います」のコーナーで(今ならYahooなどのオークションになるでしょう)で、ビデオテープをかなり高額で買いました。ベータマックスⅠです。と言っても、知らない人ばかりでしょう。

 今、このビデオを見られるデッキを持っている人は、いないと思います。私も見られません。かろうじてVHSのデッキを持っていますが、ここ数年間、使っていないので動くかどうか分かりません。

■すごい緊張感だった45分間

 というわけで、15ラウンドをフルに見たのは、35年ぶりくらいでしょうか。改めての感想として、「身震いがするほど、すごい試合だった」です。お互いの威信をかけ、一瞬のすきも見せない、見せられない攻防が続きました。末席ながら格闘技を経験した人間として、「八百長」「筋書通りの引き分け」という声が、いかに真実とかけ離れていたかを感じます。

 レスリングの世界選手権決勝でも、身震いする緊張に満ちた試合というのは何度も見ています。でも、長くても6分間です(12年前までは9分間がありました)。この試合は45分間ですよ! 

 総合格闘技なるものがなかった時代。今なら闘いのセオリーがあるので、打撃の選手と闘う時はこう闘うとか、組み付かれた時のパンチの威力は半減するとか、いろんなことが分かって、定石ができあがっています。当時は、確証ある闘い方はなかったのです。

 航海に例えるなら、今なら海洋図があって、衛星で自分のいる位置が分かって、雲の動きをキャッチして、一番困難でない航路で目的地に着くことができます。でも、コロンブスは水平線の向こうに何があるかはっきり分からず、自分のいる位置も太陽で推測するしかなく、衛星で雲の動きを知ることもできず、そんな状況で大海原へ出航したんです。大冒険だったわけです。

 試合では、猪木がルールでがんじがらめにされたことで、攻撃できずに凡戦になった、とも言われていますが、これは当たっていないと思います。猪木の技がもっと認められていても、猪木はアリを仕留めることができなかったような気がします。

 理由は、まずヘビー級ボクサーのパンチのすごさと、アリのデフェンス力です。猪木自身が言っていたことですが、あのフットワークは、すごかった。少しずつであってもローキックのダメージが蓄積されていたので、30ラウンドあればどうだったか分かりませんが、15ラウンドなら、アリは猪木にそうそう攻撃を許さないだけの防御力を持っていたと思います。


取材にあたり、20年前に発売された
ムックを読み返しました
あと、猪木はレスリング出身でないので、本当のタックルができなかったこと。ローキックだけでは、効くキックを放てても、グラウンドでコントロールまではできなかった。

 事実、アリはローキックを受けて尻もちをついたシーンがありましたが、猪木が立ち上がって次の攻撃を仕掛けるまでにアリも立ち上がっています。もし猪木が組みついてグラウンドにもっていく技術があったら、どうだったかな、と思います。

■猪木が勝てなかった最大の原因はロープブレーク

 それ以上に、仕留められなかったと思った最大の理由は、ロープブレークがあったルールだからです。猪木は何度か組みつきましたが、アリがロープにしがみつき、ルールでブレークになったのです。

 その後の総合格闘技、例えば「PRIDE」のようにロープにしがみつくのは禁止、というルールなら、組みついたあとグラウンドに持ち込み、ひじ関節を極めることができたのでは、と思います。

 アリは常にロープの近くにいて、リングの中央にはいきませんでした。組みつかれたらロープへ逃げる、が作戦だったのだと思います。

 いずれにしても、まったく未知の闘いに挑んだ両者の勇気はすごいと思います。実現に至るまでの、想像を絶するやりとりとともに、お互いの威信をかけた20世紀最大のスーパーファイトだったと思っています。

 ビデオを見て、ひとつ知りたくなったこと。試合前のセレモニーが終わり、第1ラウンドを前にして両陣営がリング中央で相対した時、セコンドのカール・ゴッチが挑発的な表情でアリに話しかけ、アリも応戦しているんですよね。どんなやりとりだったのかな、と。

 「猪木に組みつかれたら、どうやって逃げるんだね」「組みつかれる前にパンチをぶちこんでやるさ」「簡単には当たらんよ。組みついて、尻の穴に指を突っ込むように指示している」「できるものなら、やってみろ」「プロレスラーの強さをなめるなよ。猪木は必ずおまえを捕まえるさ」…、とかだったんじゃないかな、と。

 今回の猪木さんへの会見後の囲み取材で、私は猪木さんに聞きました。「マネジャーがシューズに鉄板を入れよう、と言ってきましたが、猪木さんは傷つけ合いじゃない、として、それを断ったと聞いています。入れれば、もっと大きなダメージを与えられ、仕留められたかもしれない(ただし、それほど強烈な鉄板なら、猪木の甲も骨折したでしょう)。それをやってまでも勝ちにこだわらなかったこと、正解でしたでしょうか?」

 猪木さんは、私の思った通りの答えをしてくれました。「そんなことをしてまでも、勝たなくていい」という意味の答え。

 格闘技は殺し合い、傷つけ合いじゃない。芸術なんです。ですから、レスリングは人類発祥の時から存在する最高の芸術、という存在になってほしいと思います。

 猪木とアリの死闘から40年、いろんなことを考えさせられた「世界格闘技の日」の制定でした。

2016年2月8日月曜日

断食による健康維持法「ファスティング」に挑みました!(下)

《上》から続く



 本番・3日目。いよいよ完全断食も最終日。朝、便意をもよおしてトイレへ。胃の中が2日間、からっぽなので、常識的に考えれば出るはずないのですが、出ました(!)。汚い話で申し訳ないのですが、黒っぽい便。これが胃腸の内壁にこぶりついていた便・有害物質みたいです。
 水道管も、長く使っていれば内部の大掃除や取り換えをやった方がいいでしょう。胃腸を取り換えることはできません。口の中からブラシをいれてゴシゴシすることもできません。でも、体にはちゃんと掃除機能がついているのです。


 胃の中に入ってくる食物がなくなると、内壁掃除に取り掛かるようです。この勤勉さ、見習わないとなりませんね。胃腸の中がきれいになることで悪玉菌が減り、免疫力が増すとのこと。これだけでもファスティングをやった意味があるかな。


  で、体の方ですが、ずっと楽になりました。始めた時は、「こんなことを5日も10日もやる人がいるの?」と思いましたが、10日はともかく、5日ならできそうだな、って気持ちになるくらい体は爽快です。夕方の眠気もなく、この日は夕寝なし。完全に体が慣れました。


  夜9時ころ、「あと少し」と思っていた時に、ロシアから「伊調馨、敗れる」との一報。「え!」と思い、ホームページの記事執筆のため、あわただしい時間を迎えました。そのため、あっという間に最終日夜の時間が過ぎ去ったという感じ。半身浴につかったのは、午前1時すぎでした。


 それにしても、自分の「胃腸」が生まれ変わった日に、「伊調」が敗れるというレスリング界にとっての大きな事件! ま、なんの関連性もないでしょうけど^^;

※  ※  ※  ※ 

断食明け、最初の食事です
 回復期・第1日。断食は終わりましたが、いきなりの食事、飲料はNGです。選手時代の初めての減量の時は、計量が終わると、500cc以上のジュースを一気に飲み干した記憶があり、その日の夜には4kgも戻っていた記憶があります。


まあ、レスリング選手の減量というのは水分減量なので、これでもよかったのかもしれませんが、ちょっと無謀だったような気がします。「あしたのジョー」(もう知らない人、多いでしょうね)で、減量が終わった矢吹ジョーに、丹下段平が食事は長時間かけてゆっくり食べろと指示していたシーンがありましたが、胃が驚かないようにする配慮が必要でしたね。


 朝食は酵素ドリンクのほか、大根の短冊をだし昆布でゆでたものを1時間くらいかけて食べました。これが胃に一番いいそうです。昼食は外食になるので、日本そば、やはり「わかめそば」を食べました。肉や魚、ましてかき揚げのような油ものはこの2日後に解禁です。


 その前にスポーツクラブへ行き、体重と体の組成を調べました。体重は66・5kgだったのが、64・0kg! ここまで下がったのは、何年ぶりでしょうか! 記憶にないです。学生時代以来かな?


 でも、中身を見たらびっくりしました。脂肪の量は変わっておらず、筋肉が減っているのです。そんなバカな、って思いました。食べなかったら、脂肪を燃やしてエネルギーにするとばかり思っていたからです。


 でも、これにはからくりがあって、計測器の限界らしいです。脂肪測定というのは、体内にわずかな電流を通し、電流の戻りを測定して数値を出しているわけですが、ファスティング中は塩分とカリウムの摂取が少なくなるため、細胞内に水分が少なくなり、ふだんより電流を通さないので、筋肉が脂肪と判断されてしまうそうです。


ですから、この日の数値は、本当の数値ではないそうです。数日して、体が元に戻って測る数値を見てみましょう。


 回復期・第2日。もう胃袋も元に戻ったような感じ。でも、念のためマニュアルに従っての食事。朝食は酵素ドリンクと野菜、フルーツ。「食べなくてもいい」とも書いてある。きのうの昼と夜はふつうに食べたので、ここまでの必要はあるのかな、と思うが、3食のトータルで考えると、朝食は取らないか少なくする必要があるみたいです。


 昼食から、肉・魚を控えた本格的な食事がOK。ラーメンは決してよくないと思うが、無性に食べたくなり、ネギラーメンを注文。チャーシューも入っていたので、結局、食べてしまった。ま、大丈夫だったから、問題はないだろう。


 夕食は、やっとビールを解禁し、ごはんのある食事を食べることができました。日本人、しかも新潟県生まれなので、米がないと物足りなさを感じるのです。とりあえず、1週間の日程を終わりました。



 やる前は、途中でギブアップするかも、という気持ちもありましたが、そんな気持ちはなかったです。酵素ドリンクとカウンセリングで、ン万円かけてますからね~。金をかけていると思えば、安易に放棄はできません。


 選手の海外遠征も同じかもしれませんね。昔の選手はすごい自己負担をしいられていました。場合によっては全額で、30万円とか。1969年にアルゼンチンで世界選手権があった時は、大卒男子の初任給4万円の時代に、54万円の全額自己負担だったそうです。選手は地元でカンパを集めまくったそうです。参加を断念した選手もいました。


今は国や協会がかなり出して、さらに大学や所属が出してくれる場合もあるので、選手は自分の財布の中身は減らないケースもあります。


 自分の腹を痛めるってこと、必要かもしれないですよ。「無駄にはできない」って、必死になるし、親に頭を下げて出してもらえば、親への感謝の気持ちも出てくるでしょうし。



断食前と直後の数値です
 話を元に戻しましょう。翌日からはふつうの食事ですが、「せっかく体の細胞を入れ替えたのだから、暴飲暴食はやめよう」という気持ちが働きます。部屋を大掃除したあとは、「せっかくきれいにしたのだから、もうちらかさない」と思う心理と一緒ですね。1週間もしないうちに決意は崩れるのですが…。


 それでも、日曜日に終わって火曜日の夕方、訳あって近くの銭湯(まだあるんですよ!)に行くことになって体重をはかったら、64・2kgと、断食終了の翌日午前の体重から0・2kgしか増えていません。しばらく64kg台をキープできるかな、と思いました。


 そして、その4日後の土曜日、やっとスポーツクラブへ行けて測ってみると65.3kg。筋肉はファスティング前と同じような数値で、脂肪は直後の9・7kgから9・3kgへ。水分量が増えていました。
 
 肥満度は、ファスティング前が2・2%でしたが、0・9%です。この数値をキープしたいものです。


  来週は、江東区が実施している区の健康診断を受けてみる予定です。最大の関心事は尿酸値です。さて、どうなることでしょうか。

 

 結論です。

(1)「食べられることは幸せなこと」-。健康に留意するあまり、食べるという楽しみを制限したら、体はよくても、心が病気になると思います。

(2)「やりたい人がやればいいのであって、人に勧めようとは思いません」-。私は3月の初めにもう1回やりますが、だれにも勧めるつもりはありません。


断食による健康維持法「ファスティング」に挑みました!(上)




断食の3日間お世話になった酵素ドリンクと水
断食による健康維持法、ファスティングを実践しました。ずっと以前、知り合いがやっていて、そうした健康方法があることは知っていました。妻がひょんなことで興味を持ったことで、2人で挑むことを決めました。

 若い頃から健康には人一倍気をつかっていました。会社の健康診断は必ず受診。「要再検査」という項目があれば、必ず医師の診断を受けました。妻も、その行動はびっくりしていたくらいです。
そのおかげでしょうか、10代の頃から寝込むほどの風邪ひとつひいたことがありません(盲腸の手術はありました)。スポーツ選手としての体力や才能には恵まれませんでしたが、病気に対する強さは並以上のような気がします。



 年をとると、健康にはさらに気をつけるようになりました。まあ、身分が保証されている会社員と違い、フリーで仕事をやっている人は、倒れて長期休養になったら収入がなくなるのです。働けることが何よりも必要なのです。

  そんな折、ファスティングを研究することになりました。食べないことで有害な物質の吸収を排除し、体をきれいにするわけです。あ、「有害」というのは、添加物のことを指します。現在は、添加物のまったく入っていない食品を探すのが難しいくらい添加物が使われています。
 量にもよりますが、添加物が体にいいと思っている人は少ないでしょう。カウンセリング相手の先生の話によると、体が添加物にまみれている人は、死んでも、なかなか体が腐らないそうです。孤独死して何日かして発見されたお年寄りの中には、腐敗が進んでいない人もいるそうです。体の中が添加物にまみれているから、腐敗しないそうです。



動物、植物にかかわらず、生物は死んだらすみやかに腐り、土に還るのがあるべき姿。断食することで、まず添加物まみれの体を掃除します。



 3日間も断食したら、空腹に悩まされて動けないのでは、と思う人もいるでしょう。それを補うのが控訴ドリンクです。空腹感というのは、胃の中に物がなくなるから感じるものではありません。




 盲腸の手術で数日間、飲まず食わずだったにもかかわらず空腹感を感じず、看護婦さんから説明を受けました。血液中のブドウ糖(だったと思う)がなくなることで、脳からの「栄養を補給しろ」という指令が空腹感です。点滴によって血液中に直接栄養を入れていたので、空腹感を感じなかったわけです。



 点滴にあたるのが酵素ドリンク。ン万円もするので、健康には金をかける、という信念を持っている人でなければ、手を出さないと思います。まあ、とにかく挑んでみることにしました。

 

 ※ ※ ※ ※


 準備期・第1日は減食期です。肉や魚をやめ、食事量を減らすことから始めます。夕食は「わかめそば」。豆類はOKなので、ピーナッツを時々食べて、小腹がすいた時に対応しました。
質を変え、量をちょっと減らす、といった感じ。まあ、禁酒であることは言うまでもありませんが、コーヒー等はOK。苦痛らしい苦痛は特にありませんでした。

 まだ酵素ドリンクは飲んでいません。でも、空腹感を感じるほどは減らしておらず、さほどの空腹感はありませんでした。

  準備期・第2日は本格的な減食です。朝食は雑穀米少々とフルーツ。昼食は前日と同じく「わかめそば」。ワンパターンだけど、「かき揚げそば」というわけにはいきません。
 夜、すなわち断食前の最後の食事はバナナ1本と雑穀米の小さなおにぎり1個。あと酵素ドリンクを1杯飲み、いよいよ断食に入ります。

 本番・第1日。朝起きてミネラルウォーター。酵素ドリンクは午前9時、正午、午後3時、6時、9時の5回に定めました。そのおかげか、空腹感はあまりなし。あっても、酵素ドリンクが効いているのか、いつまでも苦しむことはありません。


 でも、体はきつい。だるくて眠たさを感じます。眠たいというより、体がだるいので横になりたい、という感じでしょうか。

 仕事が一段落した午後3時ころ、職場の休憩室で横になったところ、そのまま意識がとんで、1時間の予定が2時間、寝込みました。

 これで気持ちも復活。私は(特に大リーグのないこの季節は)ある程度は自由に仕事時間を変えられますが、接客業など、決められた時間はみっちり働かなければならない人は、ちょっとつらい初日になるかもしれませんね。やる人がいたら、この日は日曜日とか仕事のない日になるようアドバイスします。

 家に帰って、梅干し1個をありがたくいただく。これは必要なミネラル分の補給のためらしいです。塩の粒も多少はいいそうなので、数粒なめて、「食べた」という気分を味わいました。

 前にも書きましたが、水が飲めることで苦痛が少ない。レスリングの減量の時は、特に計量前日はふとんの中に入っても、苦しさのため寝られないこともあり(あ、当時は早朝計量なので、リミットに近い状態で寝ました。今みたいに前夜寝る時は1kgオーバーしていてもいい、という感じではありません)、計量が終わって水を飲む夢を2度、3度と見ましたが、そんなことはなく、熟睡できました。

 本番2日目。説明によると、初日より眠気や疲労感を感じます、とのこと。一方、経験談を読むと、初日をすぎれば楽だった、という声もあります。私は後者でした。ふつうに生活できている、といった感じ。空腹を感じることがあっても、酵素ドリンクを飲んでしのぎます。

 でも、夕方になるとだるさを感じ、休憩室でゴロン。前日は1時間で起きる予定が2時間となってしまいましたが、この日は1時間で目覚めました。

 説明では、軽い運動や低温サウナで汗を流すことを勧めています。体温を上げることで体内の酵素が活性化し、免疫力、善玉菌が増えるそうです。

 でも、さすがにスポーツクラブに行く気持ちにはなれませんでした。家に帰ると、貴重な梅干し1個を食べます。待ち遠しかったのは確かです。口の中に入れられる唯一の固形物質ですから^^ 

 夜は普通にパソコンをたたき、寝る前に半身浴をして体をあたため、「あと1日」と思って就寝。

2015年12月8日火曜日

40年前のプロレス観戦を思い出しt感じたこと

先月、新潟の実家へ帰って昔のものを整理していたら、1975年4月だったかに新潟市体育館であった新日本プロレス大会のチケットがありました。

生のアントニオ猪木を見たのは、これが初めてで、すごく感激したことを覚えています。

プロレス自体はその1年半くらい前に全日本プロレスに行っていて、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、サンダー杉山、アントンヘーシンク、ブルーノ・サンマルチノらを見ていますね。

メーンイベントは大木金太郎とストロング小林がタッグを組み、キラー・カールクラップとだれかと闘い、小林が血ダルマにされました。

でも、猪木の相手は覚えていないのです^^; ただ、家に帰って当時書いていた日記に、試合経過とか書いていました。

それが今の職業になっています。子供の頃に熱中したことこそ、自分の天職なのではないでしょうか。車に熱中した人なら自動車の会社、歌の好きな人なら歌手とか。

その意味では、今の自分は最適な職業なのかな、と思います。

2015年11月18日水曜日

全日本大学レスリング選手権が終わりました


 全日本大学レスリング選手権が終わりました。協会ホームページに書いた筆者の「団体は山梨学院大が本命」という展望記事、とりあえず当たりました(無署名の記事ですけど、、、内部の人はだれが書いたか、ほとんど分かっていますので隠しません)。
 
 この展望記事、選手や監督、コーチにけっこう読まれているみたいで、カチンと来たりしてくるみたいです。今回は山梨学院大の小幡コーチから「来年から『すごい』って書かないでください。みんな緊張しちゃうんです」と困った顔で言われました(私は「このくらいのプレッシャーで勝てない選手なら、世界はおろか、全日本も取れないよ」と返しましたけど)。

日大は、自分たちへの期待が少ないことで、富山監督から「悔しくないのか!」とのゲキが飛んだらしいです。富山監督といえば、いつだったかのリーグ戦で、日大の展望記事はなく、前年日大より順位の低かった中大を「期待」として取り上げたところ、日大の選手が憤慨。それに対し、「その程度の評価なんだ! 悔しかったら、勝て!」と言ってくれたという話も伝わっています。富山監督のこうした男気、大好きです^^

今回は他にも、ホームページのY・M記者はかなりの反響を耳にしたみたいです。

Y・M記者といえば、東京国体で展望に名前が載っていない選手が優勝し、取材に行ったら、周囲がニヤニヤしながら「(展望に名前を載せないところなんだから)取材拒否した方がいいんじゃない?」と言ってきたそうで(顔見知りの選手達による冗談と分かるようなムードですよ。文章にすると殺伐と感じるかもしれませんが)、私のとばっちりを受けたこともあるのです。

 うれしいですね。読んでもらっているんですから。展望でカチンと来て奮起し、それで優勝したというケースもあるみたいです。思い出すのは21年前の全日本学生選手権、新日本プロレスへ行って不慮の事故で亡くなりましたが、専大の権瓶広光選手のことです。

 権瓶君は私と同じ新潟県出身。エスポアール時代にはけっこう成績を残していて、同郷の選手として面識があり、期待もしていました。しかし、2年、3年と進むうちに、ちょっと伸びなかったです。最初からプロレス志望の彼は、もうプロレス流の練習をやっている、といううわさも聞きました。

  1994年の全日本学生選手権は、私たちの郷土、新潟での開催でした。この大会の展望記事に、なんと権瓶君の名前は載っていないのです。奈良出身の吉田幸司選手の圧勝優勝を予想していたのだと思います。

  大会前に彼に会った時は、「こんにちは」とにっこりあいさつしてきました。展望に名前を載せていなかったことなどすっかり忘れ(覚えていず)、「相変わらず礼儀正しいヤツだ。来年からプロレスだね」と思っていました。

  ところが、彼は決勝で吉田選手を破り、見事に故郷に錦を飾ったのです。優勝直後から涙が止まりません。やっと話せるようになった時、ずばり言われました。「樋口さんの前だから、あえて言います。展望に名前が載っていなくて悔しかった。絶対に見返してやろうと思っていました」-。

   ここまでズバリ言われたことは、前にも後にも、この時だけです(いや、ロンドン・オリンピックのアジア予選で、長谷川恒平選手から前年の世界選手権の記事を引き合いに、「グレコローマンの選手は、あの記事を書いた記者(私のこと)を見返してやろうって、みんな思っていました」と言われました。ただ、“ジャパニーズ・スマイル”つきでしたけど)。権瓶選手、大会前に愛想よくあいさつしてきた時も、内心はこの気持ちでいっぱいだったのでしょうね。

  ひと通りの取材が終わったあと、「失礼な記事を書いて申し訳なかった」と謝りました。すると、「とんでもありません。おかげで優勝できました。ありがとうございました」と、深々と頭を下げられました。

  選手にとって、記事というのはモチベーションなんですね。私が最も尊敬する吹田市民教室の押立吉男代表(故人)が「活字のパワーは、指導者の言葉より強い時がある」として、私を支援してくれていました。手前みそじゃなく、これは当たっているのではないでしょうか。

  期待の記事を書かれれば、プレッシャーを感じながらもモチベーションは上がるでしょう。期待されずにカチンと来たなら、「見返してやる」という気持ちが奮起につながります。

 これからも選手と“勝負”していきます。選手は、試合前に口で闘うのではなく、結果を出してから、言ってきてください。待ってます!

2015年11月12日木曜日

“プラチナ・チケット”寝台特急「カシオペア」指定券ゲットへの道(5)完

※最初にこのサイトへ来た人は、(1)からアクセスください

 6時45分頃に市ヶ谷へ。みどりの窓口の前にはだれもいずに一番をゲット。結局、7時50分までだれも来なかった。意外と穴場なのかもしれない。
午前6時45分の市ヶ谷駅。約1時間、だれも来なかった

 8時に窓口で「宝くじを申し込みます」と言って申し込み用紙を出す。女性スタッフは「かしこまりました」と笑顔で受け取り、「取れた時は電話します。電話がなかったら、取れなかったということになります」とのこと。「取れた時に電話があるのですね」と確認。渋谷は取れなかった時に電話があります。JRの正式なサービスではないので、駅ごとに対応が違うのです。

 そのあと、有楽町線で有楽町へ。8時15分頃到着。経験からして、2時間前に並ぶ人はまずいないし、2番でもOKの駅なので、立ち食いそば屋で朝食を取り、8時半にみどりの窓口へ。予想通り1番席。スタッフがイスを持ってきてくれ、「どうぞ」と勧める。2人か3人分だけど、イスを用意してくれるサービスはありがたい。有楽町のほか、どこかでやっているのかな?

 この日は9時45分までだれも並ばず、9時55分になって2人だけ。いつもは10時前に開く3番窓口は閉まったままでした。休日でもないのに、なぜかな。

有楽町駅。先頭の2、3人にイスを用意してくれる親切な駅です
そして10時の時報。調査申し込みの時にはない緊張感が走ります。10時ジャストに打ってくれました。でも、「満席ですね」との冷たい声。仕事仲間に“鉄ちゃん”がいますが(乗るより、写真撮影が好きな鉄道マニアですが)は、「売り出しているように見せかけているだけで、本当はJTBとか日本旅行とかが、高い金で全部買い占めいるんじゃないの?」と言っていました。

 ここまでジャスト打ちしてくれても取れないとなると、その通りではないか、と思ってしまいます。

 この段階で、まだ大塚、渋谷、市ヶ谷と可能性がありますが、縁起のいい有楽町で取れなかったので、「ダメだろう」と傷心の思い。尿意をもよおしたので、駅前にある10時オープンのビックカメラのトイレへ向かう。トイレの直前、着信あり。見てみると、局番からして渋谷からの電話。前回は10時40分くらいだったのに、こんなに早く来るとは思わなかった。

 ビルの中央部だったので、聞き取りづらかったので、出口の方へ移動すると、「JR渋谷駅ですが…」との声。取れなかったら電話する、という駅です。

「ダメということですね」
「はい。満席でした。申し訳ございません」
「いえいえ、お手数かけました」
「また、よろしくお願いします」。

 こんなやりとりが、毎日、渋谷駅だけでも何件もあるのでしょうね。

 がっくりの思いでトイレに戻ると、再び着信。しかし、電波状況が悪いようで、すぐに切れました。局番では、どこあたりか分かりません。「もしや…」。市ヶ谷駅で「取れた時は電話があるのですね」と確認したことを思い出しました。

 出口の方へ移動すると、同じ番号から再度の着信。期待を持って出て見ると、「JR市ヶ谷駅です。○○さんの携帯ですか?」との声。「そうです」と答えると、「先ほど承りましたカシオペアの予約ですが、お取りできました」-!!!!

 「え! 取れたのですか」と私。「はい。ただ、喫煙室を優先されていましたが、禁煙室になってしまったのですが…」「いえいえ、十分です」。もとより、禁煙室が希望なのです。

ゲットできたカシオペアの寝台券。11敗の末の勝利でした
「本日19時までに取りに来られないと、自動的にキャンセルになりますが」。せっかく取れたキップ、キャンセルなんてしませんよ。夕方行くことを伝えましたが、達成感のあまり、全身の力が抜けました。このあと、どんな行動をとったか記憶が落ちています。

 しばらくして、妻に「市ヶ谷から『取れた』と電話あり。夕方取りに行く。現物を見ないうちは信じられない」とメールする。これ、本心です。市ヶ谷へ行ったら、「何ですか、それ?」と言われるような不安に襲われていたのです。これ、ホントですよ!

 仕事が終わったあと、とりあえず大塚駅へ確認に向かう。ここは、取れても取れなくても、電話はありません。結果は取れなかったです。すぐに市ヶ谷へ向かい、カシオペアのキップをゲット。間違いなく12月4日の上野発でした。

 結局、この日までに12駅に申し込み、市ヶ谷のみで乗れたのでした。朝3時半前に起きて向かった大塚は、2度とも駄目でした。逆に、7時45分に行っても1番乗りだった市ヶ谷で、キップが取れたのです。正直なところ、市ヶ谷は前日まで眼中になかった駅でした。前夜、8時受付の駅を見つけ、「ここにしよう」と思ったのです。

 オークションで1000円で買った「都内JRチケット みどりの窓口情報(カシオペア等対策)」が役にたったのです。人生って、何がどうなるか分からないものですね。1000円を出し惜しんでいたら、市ヶ谷が8時に事前受付をしてくれることを知らなかったですし、問い合わせようとも思わない駅でした。

 というわけで、12月4日に上野を出る「カシオペア」の寝台券をゲットしました。大手の旅行代理店がすべて買い占めているわけではありませんでした。何分の一の確率か分かりませんが、間違いなく一般売りもしています。これから3月にかけて、競争が激化するであろう「カシオペア」の寝台券、頑張って取ってください。

 私は、もう乗らないでしょうけど、10時ジャスト打ちの闘いに挑戦したくなってきました。あのワクワクする気持ち、快感になってきましたから(笑)。

《完》